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044: 本間久雄 ⑧

 『こけし手帖』666号、667号に拙稿「本間久雄・義勝の酒田こけし」を掲載させて頂いて以来、本ブログでは同こけしを取り上げてきませんでした。しかしそれ以降も酒田こけしが収集の核であることに変わりはなく、飽きることなく収集を進めてきましたので新しく入手したこけしを掲載していこうと思います。

 東京こけし友の会2016年11月例会の抽選こけしに本間久雄初期作が出品されました。初期特有の重菊の様式、緑黄赤3色によるロクロ線、胴背面への署名、頭髪に接する鬢等、初期の典型的作例と言うべきもので、しかも保存状態は良好。直近一年半の間に同手のこけしが抽選に出されたのは3~4回あったと記憶していますが、一度たりとも入手することはできていませんでした。今回もくじ運に見放され万事休すかに思われましたが、先に名前を呼ばれたH会長が順番をお譲り下さり晴れて入手することができた次第。有り難や有り難や。

 久雄初期作はそれより前に1本だけ所有していて『こけし手帖』666号に掲載しました。写真①の6寸がそれです。本ブログでは「010: 本間久雄 ②」に載せています。『山形のこけし』の7寸と同手ですが、後日名古屋のY先生にお送りいただいた『木でこ』122号の記事によると、この『山形のこけし』掲載品はもともと名古屋こけし会で昭和48年9月に頒布されたものであるとのこと。

 今回入手したこけしの胴底には「48・7月」とのメモ書きがされているので名古屋の頒布より更に2ヶ月前の作ということになるでしょうか。『木でこ』には昭和48年7月に名古屋の蒐集家T氏が酒田の本間久雄のもとを訪れた記事が掲載されています。あいにく久雄は不在であり「つくったこけしは全部出てしまい在庫はありませんでした」と書かれているのですが、ちょうどその時期のこけしが保存状態も良いままこうして手元にあるというのは感慨もひとしおです。

本間久雄 8


 T氏の酒田訪問は秋田県湯沢市で「久雄が柏倉勝郎型を挽き出したという事」を耳にしたことがきっかけだったということですから、昭和48年7月作は初期作の中でも特に早い時期のものであると推測されます。ちなみに、T氏のこの訪問がきっかけとなって、昭和48年9月、11月、昭和49年1月と3回に渡る名古屋こけし会の頒布に至ったということです。

『山形のこけし』7寸、手帖に掲載した拙蔵6寸、今回入手した7寸を見比べると面描が安定しておらず表情に幅があることが分かります。『木でこ』では『山形のこけし』掲載品を「うっとりと、とりとめのないようなところのある、穏やかなこけしである」と評しています。拙蔵6寸は儚げでたどたどしい。一方、今回のこけしは、初めて入手した久雄作(木でこ③の昭和49年1月作、手帖④と同手)のような目眉が吊り上がったムスッとした表情になっています。初期作ということで描き慣れていないため面描に変化があるというのは当然と言えば当然ですが、そのことが収集の面白さに繋がっているように思います。

 木地形態に関しては、この手は肩低く、裾にかけての広がりが小さいフォルムで概してバランスは良いように思います。しかしこの後さほど時をおかずに面描低調となり、木地も肩がすぼんでバランスを崩すことになります(「011: 本間久雄 ③」参照)。久雄初期作のうち、ロクロ線に黄色が入っていた頃の作は他の時期にはちょっと見られない格別の味わいがあるように思われるのです。


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043: 高橋金三①

 南部系中の大名物であるにも関わらず昨今のブームではほとんど見向きもされていないのが藤井梅吉のこけしではないでしょうか。現役でこの型を手掛ける工人がなく『伝統こけしのデザイン』でも取り上げられていないこともひとつの要因となっているように思われます。

 私が梅吉型を知ったのはヤフオクの出品の中に「南部系 金三」と書かれたタイトルを見つけた時だったと思います。当時既に『こけし 美と系譜』を読み耽っていたと記憶していますが、同書掲載の藤井梅吉には気付きもしていなかったことを思うとどうもヤフオクでその存在を知ったとしか考えられないのです。あれも欲しいこれも欲しいという収集初期における衝動の為せる業だったと言えます。

『伝統こけしガイド』で高橋金三の項を調べてみると、大正12年(1923年)8月10日に木地業・高橋悟郎の長男として生まれ「木地は父悟郎より習得。昭和27年頃から悟郎木地のものに描彩(新型)。昭和33年、佐藤誠が花巻に来てから誠のすすめで旧型を練習し、昭和47年2月から、藤井梅吉型を本格的に作りはじめた。」とあります。それではと『こけし辞典』で父・悟郎の項をひくと「<ガイド>改定版で古くからこけしを作っているように紹介しているが、実際は戦後の輸出用こけしが最初で、作品の様式などから見ても、伝統こけし工人とは認めがたい」と記されており、金三の代になって伝統型に取り組みはじめたことが伺えます。『こけし辞典』における金三の記述に至ってはわずか5行にとどまり、昭和46年の初版発行時点では伝統こけし工人とは認識されていなかったようです。

 昭和47年1月25日発行の『こけし手帖』131号に「こけし界ニュース」として金三の梅吉型継承の経緯が報告されています。

★鉛こけし藤井梅吉型の後継者決る。故佐藤誠が生前中梅吉の遺族の許しを得て梅吉型を作っていたが、誠さんの死亡後岩手県内の新型こけしブローカーが、いち早くこれに目をつけ、版権獲得の暗躍をしたが、岩手県南部系(花巻系)の工人たちから猛反対を受け失敗した事実がある。
 今回花巻市の老工人高橋吾郎氏の長男金三さんが、梅吉さんの遺族から正式の許しを得て、梅吉型こけしを作ることになった。
 なお、この件に関し花巻こけし界の長老煤孫実太郎を始め先輩が指導後援する由。


 今日、金三のこけしの評価が低いのはどうも第2次こけしブームの最中に伝統型に取り組みはじめた新参者であったことに起因しているように思えます。しかしながら、金三の取り組んだ梅吉型は先に述べた通り南部系こけしの中でも外すことのできない重要なこけしであり、金三による継承は伝統的観点からすると非常に意義のあるものであったことは間違いないように思います。

 といいつつ、2014年の6月に初めて入手した金三の梅吉型はもう手元に残っていません。手絡模様の頭部とロクロ線のない重菊模様の8寸のこけしで、面描からしておそらく昭和60年代の作と推測されるものでした。当時撮影した写真を改めて見返してみてもやはり木地のバランスも表情も今ひとつ物足りないものに感じられ手放した理由もさもありなん。それでもその後も梅吉型に見切りを付けずに常に注目してきたことを考えると、自分にとってはやはり気になる存在であり続けてきたことは確かなようです。

『こけし千夜一夜物語』第902903話で金三の梅吉型が取り上げられています。それによると本家・藤井梅吉の頭部の描彩様式は4種類程に分けられるとされ、金三の梅吉型への取り組みは以下の順でなされたと解説されています。

①蛇の目に前髪と手絡
②蛇の目のみ
③蛇の目に手絡
④手絡のみ

 昭和47年の梅吉型作り始めにあたり金三はまず「蛇の目に前髪と手絡」から取りかかったとあります。『千夜一夜』に写真掲載されている初作近辺作を見る限り、表情は佐藤誠の影響化にあるように見受けられます。その後2~3年をかけて表情が遠刈田風のものに変化すると同時にその作風も安定していく様子が見て取れます。

高橋金三 1
左よりキナキナ5寸8分、梅吉型8寸、6寸。集まる時は一気に集まる不思議。

 2016年2月、金三こけしが3本集まりました。キナキナ5寸8分、そして「蛇の目に前髪と手絡」の梅吉型8寸と同6寸です。キナキナは今は店舗なき西荻窪のベビヰドヲルの棚の中から持ち帰ったもので、胴にボリューム感があり曲線の美しさを感じています。ヤフオクより入手した8寸は最下部の四つ花のない「蒐楽会頒布品」と同手のもので『千夜一夜』では「一皮むけたような秀作」と評価されているこけしです。友の会の中古品の6寸はやや頭でっかちで目の湾曲著しいためか表情がキツくグロテスクですらあります。個人的にはどちらの梅吉型もフォルムが鈍重で野暮ったく感じるのですが梅吉型収集の仕切り直しとして手元に置いています。

 本当の意味で金三の作る梅吉型に魅了されたのは楽語舎で入手した6寸からです。(続く)


042: 日下秀行

 遠刈田系のこけしの内では佐藤茂吉に強く惹かれます。茂吉のあらましに関しては「021: 大沼昇治」で既に触れています。『いやしの微笑』や『こけし 伝統の美』などに掲載されている茂吉のこけしは、目元までの短いおかっぱ頭に愛想のかけらもない表情ですが、しかし何故か憎めない佇まいで圧倒的な存在感を漂わしているように思えました。『こけし 美と系譜』には手絡模様のこけしも確認できます。一本一本に異なった様式があり大いに興味をそそられました。晩年の枯れた筆致は古いこけしの素朴美をいっそう感じさせる要因となっているように思います。

 茂吉のこけしは第一次こけしブームの昭和14年頃に残された最晩年の作だけが遺されています。今となっては老工の存命中に古い遠刈田の多様性が記録として残されたことに感謝しなくてはならないのですが、しかし息子である円吉、円吉の婿養子である治郎は茂吉型というような写しを特に残しませんでした。その後、治郎の弟子大沼昇治が茂吉型に取り組んだことは前にも載せました。しかしその大沼昇治が亡くなったことで茂吉の系列は途絶えてしまいました。型は作られなくなると話題に上ることがなくなり忘れられていくようで、遠刈田の古式を伝える茂吉のこけしも今や地味なこけしという印象をもたれるまでになってしまいました。

 のですが。

 2015年6月3日より西荻窪イトチで行われた「うつくしこけし展」にて、H氏が日下秀行工人に依頼した茂吉型が展示販売されたのです。予定をなんとかやりくりして初日に駆けつけました。店頭に並べられていた中で最も整っていない面描を選んだ記憶があります。こけしを買うとついてきた『日下秀行工人復元之栞』によると、「残念ながら、現在の遠刈田では、茂吉こけしは忘れられたこけしである。今回、茂吉の直系ではないが、同じ吉郎平系列の日下秀行工人に復元を依頼。まずはリボン黒髪八寸を試作することになった。」「遠刈田の地で、新しい茂吉型の誕生。この小さなルネッサンスを喜びたい。」とあります。茂吉型に限らず、現在遠刈田では多くの型が途絶え漸次多様性が失われつつあるように思われます。そのことはひいてはこけしの魅力を低下させることに繋がるのではないでしょうか。だとすれば、若く意欲のある工人がそれら古い型に取り組み引き継いでいった方が未来につながるように思うのです。

日下秀行工人 茂吉型 1
佐藤茂吉型 初作 8寸 2015年6月3日

 この時入手した茂吉型初作は西田峯吉蒐集品の8寸の様式を土台としながら、面描は鈴木鼓堂旧蔵品の表情を採用しているものと思われます。頭頂に赤と緑で飾りが描かれる特異なおかっぱ頭。西田峯吉は目尻あたりで横鬢が終わりますがこのこけしは口元まで伸びます。目つきは西田手よりもずっと穏やかではありますが、きっと結んだ口元と相まってなんとも気の強そうな表情に見受けられます。胴模様はロクロ線と手描きの衿が混在する重菊模様で、菊と菊との隙間がなく互いに密着しています。大沼昇治亡き後久しく途絶えていた茂吉の系列に再び脚光が当てられたことに深い感動を覚えました。

 その後、日下工人が茂吉型をどうこうしたという話は全く話題になりませんでした。伝え聞くところでは、茂吉型は製作するのをやめて佐藤吉弥型に専念するという話もあり、このこけしは再び廃絶の道を辿るかに思えました。日下工人と直接話をすることができたのは2016年の全国こけし祭りも閉幕した夕刻でした。イトチで入手した茂吉型にいたく感銘をうけた事、茂吉こけしの面白さ、重要性等を熱っぽく話したと思います。聞けば、やはり製作をやめたわけではなく、時間はかかるが頼めば作ってくれるということだったので茂吉型に注目している身としては一安心をした次第。

 2016年11月12日の高岩寺の実演で日下工人は再び茂吉型を出品されました。今回は前回程時間をかける事ができなかったとのことですが、面描はより先鋭的なものとなって見る者に迫ってくるように思えました。今回は完全な鼓堂旧蔵品の写しで胴裏には菖蒲模様が描かれています。この表情はどうでしょう。美人でありながら心に沁み入るような味わいに溢れ、いつまでも見飽きない深みがあるように思います。2本を並べると作風は一層深化したように思え、私はこの写しに限りない愛着を感じているのです。

日下秀行工人 茂吉型 2-1
佐藤茂吉型 第2作 8寸 2016年11月12日

日下秀行工人 茂吉型 2-2
胴裏の菖蒲模様 「昭和作」はさすがにやり過ぎの感なきにしもあらず

 高岩寺の出品を見て某氏は「衰えた頃の筆をそのまま写すのはいかがなものか。工人の筆の冴えていた頃を想像した方が良いのではないか」という趣旨の発言をしておられました。私の印象とは異なる見解でしたが、なるほど一理あるとも思いました。筆力のある全盛期の茂吉の面相を想像してこけしを作るのはなんと創造的な仕事だろうかと。

 一方で、茂吉こけしのどこに魅力を感じるかというと、①古い遠刈田の様式の数々を今に伝える点、②鋭く厳しい目つき、③枯れた筆致による古びた味わい、にあると捉えています。筆の揺れは茂吉こけしの古格を助長する大きな要因となっており、茂吉という工人のこけしは老工の晩年作として強く認識されているように思われます。この筆を伸びのあるものにしてしまうことは、茂吉の魅力を半減させることになるのではないか、とも思うのです。

 写しのやり方は工人それぞれのようです。大沼昇治の茂吉型は目つきの鋭さをさらに強調したもので古遠刈田の様式を昇治なりに消化した大沼昇治のこけしというべきものであったと思います。一方、佐藤春二に端を発する弥治郎系の茂吉型は茂吉の一様式を弥治郎系に採用したもので、井上一族の華麗な作風の中で独自の型として発展してきたように見受けられます。花巻の佐藤長雄も茂吉型を手掛けたといいますが、サンプルが少ないのでなんとも言えません。日下秀行工人は「原」を忠実に写そうとする工人です。これは工人としての強みであり、優れた資質でもあります。老工の筆の揺れまで写し取らんとするその姿勢は大いに買うべきものではないでしょうか。同じく「原」に忠実な写しを心掛けるとおっしゃる高橋正吾工人のこけしをみれば忠実に写そうとする方が大成するのではないかという仮説も成り立つような気がしてくるのです。

 それはともかく、この催事にあたり日下工人は茂吉型を8本持ってきたとのことでしたが、その全てに買い手がついたということは何を意味するのでしょうか。たとえそれが作為的なものであったとしても、愛好家が他のこけしにはない素朴な味わいを感じ取り茂吉型のこけしを買っていかれたのだとしたら、一概に批評ばかりもしていられないように思うのです。これは今晃工人の人気にも通じるある種の問題を孕んでいるように私には思えます。つまり、現代の美麗なこけしに対するアンチテーゼなのではなかろうかと考えられます。少なくともそういった古い時代の拙い面描に興味を持つ愛好家が私以外にも少なからずいるというのもまた否定のできない事実です。

 兎も角、重要なのはこの筆致を写して工人が何を感じるか、そしてそれがどうその後に活かされるかであるように思います。そういう意味でも、日下工人の茂吉型からは今後も目が離せません。

追記
日下工人は2017年5月の第59回全日本こけしコンクールに招待工人として参加され、「茂吉型8号」が「東日本放送」賞を受賞されたとのこと。受賞作の写真が青葉こけし会のブログ(「第59回全日本こけしコンクール:ホワイトキューブ」)で確認できます。画像が少し不明瞭ですが表情は佐藤吉弥に接近した印象を受けます。


041: 第3次こけしブーム考

「こけし千夜一夜物語Ⅱ」で筆者のKさんは東京こけし友の会の例会参加者数の推移とともに「第3次こけしブーム」が落ち着いていたようだと述べられている。そろそろこの「ブーム」と称されてきた現象を分析し今後の課題を整理する時期になってきたのではないだろうか。

「第3次こけしブーム」は主として30代前後の女性がこけしのかわいさに惹かれたもので、軸原ヨウスケ氏(cochae)が2010年4月10日に発行した『伝統こけしのデザイン』というガイド本が引き金となっていると思われる。『こけし手帖』594号には発行当時の記事が掲載されている。翌年の2011年8月15日には沼田元氣氏により『こけし時代』が創刊され(同手帖609号に記事)、また東日本大震災後の東北復興支援活動の一環としても民芸品としてのこけしに注目が集まるようになった。実際、筆者をこけしの世界に引き摺り込んだ某氏もそのような状況からこけしに関心を持たれたということであるから、その某氏の影響から収集を始めた筆者も一連の流れに乗った一人であるといえる。

「第3次こけしブーム」の中心である女性の多くは、こけしの「かわいさ」に惹かれている。こけし製作を生業としているこけし工人は買い手の求めるものに敏感であり、女性の求める「かわいさ」に対応してそれに見合ったものを次々と作り出していった。いわゆる「かわいいこけし」である。今ここで重要なのは、こけしは工人が作り出すものであると同時に買い手の需要にも少なからず影響されるという点である。現在の「かわいいこけし」は現代という時代が生み出したこけし以外の何物でもない。

2014年筆者が始めて伝統こけしを求めた北鎌倉のおもとでは手に入りやすい入門書として『伝統こけしのデザイン』を紹介しながらも「かわいいこけし」にはやや否定的なニュアンスを滲ませておられた。高幡不動のたんたん(現、楽語舎)店主も同様で、若い女性の特徴として①大きいものを買わない②多くを買わない③本を読まない④伝統的なこけしを買わない、という点を指摘されていた。長年こけしに接してこられた方々は内心忸怩たる思いがあるのかもしれない。但し2014年4月20日の土湯こけし祭りの若手工人トークイベントの際、「(かわいいこけしのことが)最初はよくわからなかったけれど、孫に買い与えて喜ばれる姿を見るとだんだん好きになってきた」という主旨の発言をされた年配の愛好家もおられるということも書き留めておく必要はある。

かつて『こけし手帖』23号に稲垣武雄氏が「新型こけしの濫觴」という記事で書かれたように「この類似品が大量に生産されて、工人達の生活が保証されれば伝統ある本当のこけしの廃絶を救うことにもなる」と考えれば、「かわいいこけし」が親しまれることは決して悪いことではない。問題はむしろ需要という面でこけし作りの片棒を担ぐ買い手の側に(そしてあろうことかそれを商う一部の業者にも)こけしへの理解が欠如している点ではないかと考えている。

こけしには過去100年以上にわたって先人が積み上げてきた技術、形式、それにまつわる様々な知識、そして情熱がある。そういったこけしの歴史から乖離したところで愛好家側にこけしへの理解がないまま「かわいい」という需要だけが先行するとそれに引っ張られる形で今まで培われてきたこけしの軸からどんどん外れた奇抜なものへと変容していってしまう危険性がある。もちろん、先のトークイベントにおいて「新しいものを作る場合でも伝統的な模様を入れる等をする」という発言があったように工人側の意識が抑止力となっている部分もあるわけだが。

初めに挙げた『伝統こけしのデザイン』や『こけし時代』といった刊行物は、そういったこけしにまつわる様々な知識という部分を意図的に省略している節がある。それによってこけしに対するとっつきやすさは増したのかもしれないが、前述したような弊害も出てきたのではないだろうか。もちろんこれは結果論であってそれらの本によってこけしに興味を持った愛好家が増えたこともまた事実である。過去『伝統こけしガイド』『こけし 伝統の美 みちのくの旅』といった入門書の刊行がその役割を果たしたように。若い愛好家側への優れた手引きがないことは収集界の怠慢でもある。

「かわいい」だけの収集は発展性に乏しく、数十本集めれば充分とばかりに数年と経たずに収集をやめる愛好家も少なくないという。このような愛好家にこけしに関するあらましを紹介し、その奥深さを知ってもらえれば「かわいい」という視点だけでないこけしの魅力に気付き、より本質的な部分に興味を持つようになるのではないだろうか。

今、こけし界の未来にとって必要とされているもの。それはこけしに興味を持った愛好家にこけしの伝統的な面白さを紹介し、その収集に発展性を与えることのできる手引きであると考えている。伝統とは即ち系統系列であり、工人であり、「型」である。ある工人がどういう生涯を歩み、系統系列の中でどのような制約を受け、その中でこけしとどう関わり、そのこけしが「型」としてどう継承され発展してきたのか。主要な型の「原」となるこけしを紹介し、その型が現在どの工人によって受け継がれているかを紹介することが、こけしへの理解を深めるのではないだろうか。優れたこけしの手引書が熱心な蒐集家を育む。種を撒かなくては芽は出ないのである。

以上の文章は2015年の春先にノートに書き記したメモが元になっている。2年ほど経って改めて読み返してみてもその考えは変わっていない。


040: 「珠玉のコレクションを蒐めて」

仙台のカメイ美術館において2016年8月2日から10月23日の会期で「こけし特別展 珠玉のコレクションを蒐めて」という展示会が行われた。

鈴木康郎氏、高橋五郎氏、谷川茂氏、中根巌氏、橋本正明氏、箕輪新一氏、亀井昭伍氏という錚々たるこけし蒐集家、研究家の所蔵される名品を一度に見られる機会は、まずない。「現代日本の著名なこけし蒐集家、研究家のコレクションを仙台の地に一堂に集める貴重な機会」(パンフレットより抜粋)として是非とも拝見したいと思っていたがなかなか都合が合わず、結局9月10日の定禅寺ストリートジャズフェスティバルに参加したついで、二時間足らずの鑑賞となってしまったのはこけし愛好家として甚だ痛恨の極みである。

諸氏の所蔵される古作を拝見してまず感じたことは、木地形態の美しさだった。こけしは球体の頭部と円柱状の胴という最小限の構成要素で成り立つものであるが、にも関わらず、第一次こけしブームより遥か以前に生まれたであろう古作群には圧倒的な造形美そして素朴な味わいを有しているように思われた。古い木地師達の造形感覚は現代の多くのこけし工人と比べてはるかに優れていると思わざるを得ない隔たりがあった。しかもそこに味わい深い描彩が加わるのだからもうたまらない。

古い蒐集家、小林昇氏が『こけし手帖』104号に書かれた「こけしははじめ子供のおもちゃとして作られたものだが、古い工人たちは不思議なほどフォルムの感覚が鋭く、色感に豊かで、また顔や胴の描彩がたくみである。ことに描彩の点では毛筆の技術とデフォルメの効果とを十分にこころえていて、一昔前まで保存されていた日本の美意識が素朴な木の人形から伝わってくる」という一文をふと思い出していた。

以下は短い時間ながらも展示を拝見して抱いた所感である。考えがまとまっていない節が多々ありしかもまったく個人的な見解ではあるものの、素晴らしい展示会に触れ考えさせられることが多かったため蛮勇を振るい投稿させていただきます。


1.こけしに求められるものの違い

古作群の圧倒的な造形美を前にしながら、普通に考えれば、現代に作られたものの方が感覚的に現代人にとってしっくりくるはずであるのに何故、古作の造形の方に優れた美を認めるのであろうかという素朴な疑問を抱かざるを得なかった。

時代によってこけしに求められるものが変わっていき、それがこけしそのものにも影響を与える。(もちろんそこには製作環境の変化といった要素もあるが。)第三次こけしブームのこけしに求められているものが「カワイイ」という基準だとすると、それ以前は何が求められていたのか。

まず、第二次こけしブームの頃には「古作の再現性」や「情味」という基準があったのではないかと考えている。型、写しという手法の一般化に伴い古い型をどれだけ忠実に再現できるかがこけしを評価する際の判断材料となった。また、各種入門書により味わい、情味というこけしの観点が広まった。これは『こけし 美と系譜』で鹿間時夫氏が用いたキーワードである。第二次こけしブームの頃の愛好家の根底にはこういったキーワードが評価基準としてあったのではないか。

では第一次こけしブーム以前は何が求められていたのか。思うに無作為で自然素朴な味わいだったのではないか。天江富弥氏や武井武雄氏がこけしを蒐集された時代はこけしを「子供のおもちゃ」として珍重する風潮があったと思われる。この頃はまだ新型こけしの影響などはなく、したがって「伝統」がどうのとか「写し」がどうのと口喧しく言われることもない。こけしがありのままの存在でいられた時代であったと想像する。それはこけしならびにその製作者たちに外から何かが求められることがなかったことを意味する。そして逆説的には第二次こけしブーム以降は買い手の嗜好、蒐集家の思惑に影響(あるいは翻弄)される時代となったのだと考えられる。

展示品のこけし群は、その何にも影響を受けることのなかった時代のありのままのこけしの姿を体系的に今に伝えるものであったように感じている。

なお蛇足になるが、一度「カワイイ」という評価基準を脱すると現代化されたこけしに物足りなさを覚えるようになる、というのは実体験に基づく印象である。「カワイイこけし」に不満を覚えるのはこけしに「古作の再現性」や「情味」、あるいは「素朴」を求める故であると考えられる。現代のものよりも古作のに優れた造形美を認めてしまうのはそういったところに理由があるのかもしれない。


2.写しによるこけしの規格化、画一化

戦後、伝統的型の保護・推奨を目的として写しという行為が一般的となった。蒐集家誰それ旧蔵の何々型という感じでこけし界の名物を写したこけしが大量に製作されてきたわけである。写しが一般的になるにつれ、愛好家は再現性の高い写しを手元に置くことが可能となり、こけしの水準は上がったように思われる。しかし、それと引き換えに、こけしが本来持っていた多様性、豊かさ、味わいが失われたのではないか。

そして同時に愛好家に多様性という観点が、或いはそれを許す余地が失われたのではないだろうか。消費社会が浸透し例えば青果の品質が規格化され規格外のものが排除されるのと通じる思潮が根底に流れているように感じる。

しかし古い文献に載らなかっただけで世に知られていないこけしのバリエーションは山ほどある。柏倉勝郎の枝梅模様を入手してそういった思いが芽生えたところにこの度の展示に出品された古作群の豊かな多様性を目の当たりにしてますますその思いは強まった。


3.多様性を取り戻すために

「誰それ旧蔵の何々型」というのは有名な蒐集家にたまたま発見されたごく一部の作例に過ぎず、実際には表情領域、胴模様、木地形態など思いのほか多彩であることは決して少なくない。だとすると、それらをいくつ忠実に写したとしても点の集まりでこそあれ面になり得ないのではないかと考える。それはいわば「規格化されたこけし」である。そのような写しに終始する限り、現代の工人は古作にみられる自由で多様な変化は生み出し得ないのかもしれない。

点と点を面にするためには、こういう作例も存在し得たのではないかと、工人自らが想像を膨らまし、それを実現させていく必要があると思う。それは結果として伝統が発展していく原動力になり得る様な気がする。少なくともそうして出来上がったものは創造的であっても伝統の枠内にきちんと収まるものだと思われるのである。

鹿間時夫氏は『こけし手帖』42号の新人紹介の項で「もはや伝統はがんじがらめである。新型に堕落せずこの殻を破り、本荘や大湯や一の関のようなヴァラエチーを作ることが鳴子工人のテーマではなかろうか」と記している。昭和37年の記事であるが何も鳴子に限った話ではなく、これからのこけしの目指すべき姿を今なお示唆し続けているように思われてならない。改めてこういった事を考える時期にあるのではないだろうか。今後求めていくべきは、伝統の枠内での創造性なのかもしれない。こけしに自由と多様性、生命力を与える残された道であるように思われる。

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