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008: 佐藤康広

こけしに興味を持ち始めたほぼ同じ頃にBEAMS <fennica> が「インディゴこけし」の販売を開始した。こけしに対して何の知識も先入観も持たない初心者の目にはその藍色がただただ魅力的に映ったし、日本的な美しさを象徴するものにも思われた。このインディゴこけしを作るのは佐藤康広工人という名の、自分とそれほど年が変わらない若手工人であることを知って親近感を抱いた。その後実演などの折にお話しをさせて頂く機会にも恵まれ、知らず知らずのうちに康広工人作のこけしが増えている。今回はその佐藤康広工人とインディゴこけし等についてまとめてみる。(以後、一部敬称略)

1. 歩み

佐藤康広は昭和51年(1976年)4月26日、宮城郡宮城町芋沢大竹新田下で木地業を営む佐藤正廣の二男として生まれる。師匠・正廣は遠刈田系松之進系列の我妻吉助の弟子。また日光の大藤仲四郎にも師事しており、木地挽きの技術、カンナの切れともに一流の木地師と誉れ高い。その正廣を父にもつ康広は長らく測量関係の仕事に従事していたが、平成22年(2010年)1月1日より父につき木地修業を開始する。この時工人33歳。

翌、平成23年(2011年)5月の東京こけし友の会例会で初作となる7寸の頒布が行われた。『こけし手帖』606号には頒布品の写真とともに簡単な紹介文が掲載されているのでそちらを引用させていただく。

測量関係の仕事を退職、平成22年1月から父正廣に師事。当初父の木地玩具の日光茶道具を製作、昨年のみちのくこけしまつりで入賞する。こけしは平成22年10月より描き始める。父の松之進型を継承、今回は初作頒布。重菊、桜崩し、旭菊、井桁の胴模様の各種。今後の活躍を期待。(『こけし手帖606号』平成23年 P.9)

平成24年(2012年)3月の例会では小寸(2寸)三本組みセットの頒布が行われた。また、平成26年(2014年)1月よりBEAMS <fennica> よりインディゴこけしの販売が開始され、その製作を担当している。

現在、木地業就業6年目。父とともに仙台木地製作所でこけしおよび木地製品を製作している。

2. こけし鑑賞

手持ちの佐藤康広工人作を見てみる。

インディゴこけし

(左より)
・藍 轆轤線 4寸
・青 轆轤模様 8寸
・藍 旭菊轆轤線 4寸
・藍 菖蒲轆轤線 6寸
・藍 階調轆轤線 4寸
・藍 梅花轆轤線 8寸
・藍 轆轤線 4寸

一番最初に入手したこけしは2014年4月11日に入手した左の2本。第2回の販売品であるが、後のものと比べると木地の極端な白さは未だなく自然な印象を受ける。特に4寸の表情は二側目の下瞼が若干下方にふくらみ柔らかく優しい。店内でご一緒した愛好家の方と話題になったのが、本藍による染料が経年とともにどう変化あるいは褪色していくかについてであった。本藍によるこけしというのはこれまで前例がなくこれを書いている現時点でも藍色にどれほどの耐性があるのかは未知数であり、そういう意味でインディゴこけしは実験的な試みであるといえるだろう。褪色の予防としてなるべく濃い色のものを選ぶのが賢明であると思われるが、今後の経過には引き続き注視していかなくてないけない。そのような懸念があったので色が濃く褪色の心配が少ないと思われる青の轆轤模様8寸も入手した次第であるが、その後の本藍を中心とした収集を考えるとこの濃い青のこけしがちょっとしたアクセントになっているように思われる。この胴模様は工人の属する系列の頂点に立つ佐藤松之進のこけしにみられるもので、松之進が著した『木地人形記』の第十四号にその祖形が認められる。なお、『木地人形記』は松之進から橘文策に贈られた手書きの資料で『こけし手帖』37号に「松之進の「木地人形記」に寄せて」という記事で掲載され、後に『こけしざんまい』にも収録されている。

さて2014年8月23日、第3回の販売で手に入れたのは右から2本目の8寸。この回は東京だけでなく、仙台、神戸、広島でも販売されたと記憶している。この頃の収集は徹底的に8寸という大きさにこだわっていた時期であったため8寸以外には目もくれていなかったように思う。他の方が所有されているインディゴこけしを拝見しているうちに白い木地の余白を活かした模様に強く惹かれることに気付き、なるべく余白が感じられるような胴模様を基準に選んだ。胴の上下を幅の広い轆轤線と土湯系の返しロクロを髣髴とさせる斜め線で縁取り、胴の中央に遠刈田系の伝統的な枝梅模様に使われる梅花をあしらった胴模様である。顔の線も伸び伸びとしていて明朗で健康的な表情に見える。

2015年3月8日の第4回販売では真ん中の3本を入手。この回は原宿、仙台の2店舗で販売された。こけしを収集し始めて1年経つと、同じ大きさのこけしで揃えて並べる見せ方はどうにも収まりが悪いように感じ始めた。というわけで各種の大きさを偏りなく並べられるように収集の仕方を方向転換した時期だったため、4寸、6寸という小さめのサイズに絞った上で胴模様の多様性に焦点を絞って選んだ。左から3本目は轆轤線に伝統的な旭菊を描いた胴模様で、頭部の手絡も前髪後ろの一点から放射状に描かれ胴の旭菊と響き合う。藍色とよく調和するモダンな胴模様であるように思う。真ん中の6寸は遠刈田系の裏模様によく使われる菖蒲模様をあしらったもの。土湯系の佐久間粂松型のような趣きが感じられる。やや下膨れ気味の頭部のフォルムと目の離れた面描で個人的には表情に少し不満が残る。しかし大勢が列をなし短時間のうちに買うべきこけしを決めなくてはいけない状況ではじっくり選ぶ余裕は望めず致し方ないところではある。やはりこけしは時間をかけてじっくり選ぶべきものではあるが、同時に収集家としては一層目利きの目を磨かなくてはいけない。右から3番目の4寸は階調轆轤線による胴模様。濃淡によって生み出される本藍の微妙な変化が堪能できる一本で、勝ち気な表情とともにとても気に入っている一本。

右端の4寸は2015年5月27日の第5回販売で手に入れた。この回は平日水曜日からの販売開始のため即完売ということにはならなかった。とはいっても遅く到着した頃には狙っていた胴模様は既になかったが。それでもこの日は他に誰もお客さんがおらずじっくり見比べることができたので、前回の反省を活かし面描と表情に着目して選ぶことにした。改めてこのこけしの表情を見てみると、この時の選考基準は三日月目の均整に主眼を置いていたことが伺える。下瞼の線がきちんと上瞼にくっつき両目も水平を保っている。瞼の稜線は優雅で慈愛の眼差しが感じられる。美しい表情だと思うが、康広工人らしい面描か、というと話は別であるところが面白い。表情領域の広い工人だと思う。

次にインディゴこけし以外のえじこ等をみてみる。

佐藤康広作えじこ

(左より)
・赤 轆轤線 1寸2分
・えじこ エゴノキ材
・豆えじこ

右の豆えじこは2014年9月8日、上野松坂屋実演にて購入。この時に初めて康広工人とお会いして話をすることができた。インディゴこけしでも所有している梅花が散りばめられた胴に、すやすや安らかな寝顔が相まって可愛らしい。真ん中の大きめなえじこは2015年4月14日の横浜そごう実演にて。エゴノキという木材の樹皮を活かした意匠で、余白には轆轤線とやはり梅花があしらわれている。クリクリ目の表情はいかにも玩具といった風情で楽しい。左の豆こけしは2015年6月27日に西荻窪のイトチによって開催された『奥会津の木地師』上映会と康広工人・樋口達也氏のトークイベントの際に配られたお土産こけし。小さいながらもバランスがとても良く豆こけしならではの可愛らしさがある。インディゴこけしを求める愛好家はこういった豆こけしや4寸大の小寸こけしを好む傾向にあると思われ、その結果として工人としても作り慣れた大きさになっているのかもしれない。良いこけしが多い。

3. インディゴこけしについて

インディゴこけしに関していくつかの断想を記する。まず、その伝統性にも絡むことではあるが「藍色が東北の色か」という問題を孕んでいるように思われる。昭和63年(1988年)に発行された『こけし手帖』323号において和田薫子氏が「こけしの色彩」という記事を書かれているがその中で、

この秋、久しぶりに友の会の旅行会に参加した。晩秋のみちのくの山々は、紅葉、黄葉、新緑と濃い褐色の色彩で覆われていて、文字どおり華やかな錦の色彩そのものであった。それはまた、こけしの色彩そのものでもあり、もっとも日本的な感覚の色の世界とも言えよう。(『こけし手帖323号』昭和63年 P.4)

という一文があり、その指摘には唸らされた。よくこけしは東北の風土が生み出したものといわれるが、ここまで具体的にそれを納得させる文には出会ったことがなかったからである。更に、同記事では「青がこけしに彩色されないのは何故であろうか」という記述があり、「こけしの木肌の色は、ベージュ色というのか、薄茶色である。青は補色関係になって、まったく調和しない。こけしに青色が用いられない理由が納得させられる」と結論付けている。

このインディゴという色彩は東北に根付くものなのだろうかと改めて考えみても、藍というと自分の中ではどうも四国が思い浮かんできてしまう。少なくとも東北特有のものとはいえないことは確かであるが、しかし手元にあるインディゴこけしを見ると和田氏が指摘していたように青(藍色)が木地に調和していないとは感じられないのもまた事実であるし、藍色で色彩されたこけしを美しいと感じる人は自分だけではない。

これは時代の変遷に伴う美的感覚の変化によるところにあるのではないかと考えられる。サッカー日本代表のユニフォームの色に代表されるように藍色は(東北固有の色ではないかもしれないが)日本らしい色として認知されている。日本的な文化が見直され関心が寄せられている時代背景というものがあり、実際BEAMS の取り組みもそういった文脈から発想されたものと考えられる。そういった意味でインディゴこけしは極めて現代的な発想、現代的な美意識、現代的な色彩感覚によって生み出されたこけしであるといえる。

その一方でインディゴこけしの胴模様、面描、木地形態は伝統こけしそのもので硬派ともいえるほどの伝統性を有している。その点で所謂「かわいいこけし」とは一線を画するものがあり、自分が惹かれているのは色彩の革新性とその他の要素の保守的なまでの伝統性のバランスにあるように思う。

西田峯吉著『鳴子・こけし・人』によれば、かつて明治35年(1902年)頃、肘折へ出稼ぎにいった鈴木庸吉が同地で胴を黄色に塗る技法を習得し鳴子に持ち帰ったことが契機となり黄鳴子時代が到来したという。現在こけしに使われている色はこけし発生当初からあったのではなく、ある時点で誰かの工夫・創意により用い始められたものが伝播してひとつひとつ定着してきたことは想像に難くない。このインディゴ(藍色)という色のこけしへの応用も、そのような染料に関する歴史的変遷の中のひとつの出来事としてみることはできないだろうか。そういう視点でみれば現在はひとつの節目にあり、我々はリアルタイムにその変遷に立ち会っているとも考えられなくはない。

インディゴこけしを「青色のこけしはパッとしない」或いは「伝統的なものではない」と一蹴する蒐集家もいらっしゃるだろう。しかしこけしにまったく興味がない人にも訴えかけられる魅力を持ったコンテンツとして、他にどんなこけしがあるだろうか。(もちろんBEAMS というブランド力によるところもあるのかもしれないが。)いずれにしても、個人的にはこれから長い時間をかけて青い色がこけしの伝統的なものとして定着していったら面白いなと思うし、願わくば、この藍色こけしがきっかけとなってこけしに深く魅了される人が増えていってくれればと考えている。

4. 佐藤康広工人について

インディゴこけしの製作者である佐藤康広工人は前述の通り表情領域の広い工人であり、胴模様の多様性と相まって非常に収集が楽しめるこけしを作っていると思う。また話していると言葉の節々にこけし工人というよりは木地師としての意識と誇り、職人としての謙虚な姿勢が感じられ、頼もしい。可能であれば佐藤松之進型の写しにじっくり取り組んでもらいそれがどのように作用するかみてみたいという思いがあるが、ご多忙につきなかなか頼めないでいる。まあ焦ることなく、細く長くお付き合いしていければと考えている。6年目の新進工人としても、同世代の工人さんとしてもこれからがとても楽しみな存在であり引き続き注目していきたい。

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コメント

ありがとうございます。

ありがとうございます!時間経過とともにきちんと見ていただいているのですね。細く長く良いと思えるものを私も作れればと思います。藍という色は実は宮城では人間国宝も排出した正藍染という藍染技法があり日本で最古の技法を今も踏襲され伝統的な染色を担っている産地がございます。また江戸後期仙台では町娘の衣は藍の型絵染が古くからあり(常盤型)、今では大きな産業にはなっておりませんが、私のこけしにその当時の土地の色をいただいたつもりでございます。というのが藍のこけしが出来た由来です。藍という色は今のこけしに使われている染料より起源を古くもつ日本の文化であり、その色をいただいて作りました。新しいと言われればそうかもしれませんが、起源を古くもつ意味で言えば伝統こけしより古くからある文化を少しでも入れればという思いもございます。もちろん正藍染の藍の染色技法を私自身で踏襲するのは困難ですので、私自身可能な範囲で藍を施しております。東北固有のという色という意味で今は理解しがたいのももちろんわかりますが、そういう文化も実は宮城にはございます。正藍染は藍染では名前は知られたものですし、私自身の仕事としては、こけしだけに囚われず幅広く工芸民芸について…もっと引いて見ると生活文化の中で生まれるべき仕事というか…というのが今の私の考えでもあります。またお話しできる機会があればと思います。

Re: ありがとうございます。

佐藤康広様
藍染に関してまったく不勉強のまま記事を書いてしまい申し訳ありません。恥ずかしながら正藍染という名の知られた藍染技法が宮城にあることきちんと認識しておりませんでした。藍を「当時の土地の色」として採用したという件は、製作者の意図というかインディゴこけしの理念といったものを垣間みる思いがします。こけしの染料としては新しいものかもしれないけれど、こけしよりも古くからその土地で使われてきたものでもあるというご指摘にはこけしに藍染を用いる必然性も説明しうると感じられました。こけしがこどものおもちゃであった時代に遊び手であるこどもが着ていた衣装と同じ色をこけしに用いるというのはある意味こけしの原点に回帰するものとも言えるかもしれません。ただし個人的には、では何故藍がこれまでこけしに用いられなかったのか(或いは試験的に用いられたとして定着しなかったのか)という点は尚考察の必要はあると思っています。本文で触れたような色彩効果的問題だったのかもしれませんし、経済的(コスト、入手が容易か否か)、技術的問題かもしれません。それを考えるのは広くこけしの存在意義そのものに迫ることでもあると思います。いずれにしましても、大変勉強になるコメント頂きましてありがとうございます。今後ともどうぞよろしくお願い致します。

藍は木に染めつけるの技法は日本ではあまり聞いた事はあまりありません、木は色がのらないわけではないけど、布なら何度も藍に浸して濃度を上げて発色させるのが普通の藍染の発色なので、筆で描くという色では無いというのがあったのではないか?というのが推測されます。
鳴子の滝島しげるさんあたりが藍で染めつけたこけしを作った事があったと聞いておりましたが、実際は不明です。私は故滝島さんのろくろを使っていたのでたまたま耳にした事がありました。
なので、私が最初では無いのかもしれませんし、そう言うつもりもありませんが、自然発生的?に単色のこけしや青系、緑や空色に近いものはよく見るようになりましたね💦
話はそれましたが、伝統の伝統性をどこに見出すのか、技法技術が踏襲されずに見た目の伝統こけしをつくるつもりは無いので…伝統の中にある既存の型は、遠刈田の木地挽物技術、数を作る為に生まれた一面もある描画彩色の技術の両方の側面を持ち合わせています。それを基本に新しい(笑)挑戦でもある藍色青色についても、そのようになるよう私次第だと思いますので、コツコツまじめに作っていけたらと思います。
伝統の型をただ盲目に模倣するのは必要な事ではありますが、その意味は技術技法や筆致の踏襲、精神性もあるかな?であって、伝統の伝統性にはその土地で何を汲み取りどう表現するのか、師は作ったもののディテールの問題点は指摘を受けますが、基本的にはどう作っても遠刈田のこけしにしなさいと言われております。とても難しいです。私も(たぶん師も)右回り左回りでその意味を探っているのが現状です。復元もその意味で取り組んでおります。ありがとうございます。精進いたします。

No title

藍は布に染める色で筆で描くという発想自体がなかったのでしょうか。 興味深いところです。
個人的な見解ですが、藍色をこけしに用いることが定着するにはそれが他の工人、他の産地に広がっていく必要があるように感じています。本文で鈴木庸吉が鳴子に黄色を持ち帰ったように。もちろん道義的倫理上の問題はあると思いますが。
「伝統性にその土地で何を汲み取りどう表現するのか」というのは今の時代のこけしの在り方に関わる問題ですしとても興味があります。そこらへんについてもお話を伺える機会があればいいなと思っています。

今の時代の在り方なんて、私が私自身の仕事について考えるべき事であって、他の工人の方がどうこうというつもりもありませんし、そんな権利もございません。
私自身の仕事はそうでありたいというだけの話です。
あまり書くと誤解される方もいらっしゃるので、お会いした時にでもゆっくりお話できれば良いですね。ありがとうございます。
青色、藍も私だけのものではもちろん無いし北村さんエリスさんがその経験と知識や感性からヒントをくれたのであって、手伝っていただいた周りの方々も沢山いらっしゃいます。藍染についても専業の方からすれば私のそれは児戯と笑われるのかもしれませんので、決してご迷惑のかからないように気をつけなくてはなりません。それらのことを大事に心にとめて、私のできるだけの事をするだけだと思います。

Re: タイトルなし

佐藤康広様
そうですね。ブログのコメントでやり取りするにはいささかデリケートな話題ではありますね。またお会いした時に是非いろいろお話伺わせて下さい。芋沢にもお邪魔できればと考えております。これからも陰ながらではありますが応援いたしております。

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