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016: 柏倉勝郎 ②

酒田こけしを追求している阿房こけし洞において柏倉勝郎という人物はそのこけしの始祖となる最重要工人なのだが、彼の作ったこけしとなると残念ながらなかなか入手できる機会には恵まれない。そのような中、東京こけし友の会の9月例会の入札で勝郎作を入手することができたので今回はそのこけしについて調べてみたい。なお、柏倉勝郎の生い立ちについては「004: 柏倉勝郎 ①」でまとめている。

柏倉勝郎1-1

こちらがその柏倉勝郎作、6寸2分。当日の例会は遠刈田で開催された「全国伝統こけしろくろまつり」と日程が重なったためか出席者が少なかった。そのため自分の他にこのこけしへの入札者はなく、競合することなしに落札できたのは幸運だった。

入札品の説明によるとこれは後期のこけしであるとのこと。頭部の嵌め込みがとてもゆるく、南部系のキナキナばりにカタカタと揺れる。古色つき、葉の緑は完全に飛んでしまっているが表情は光るものがあるように感じる。重ね菊の花弁は枚数少なくその線も極めて細い。ピーク期の迫力は既になく、枯れた趣のみが残る晩年期の作風である。

柏倉勝郎1-2

小さめの丸い頭部と細めの胴体の絶妙なバランス、肩の盛り上がりと衿付けの優美な曲線、そして裾に向って末広がりになる三角胴によって構成される木地形態は洒脱であり、こけしの美しさは木地にあるということを改めて教えてくれる。

頭頂部の中剃りに引かれる赤い轆轤線は頭髪の墨によってほとんど塗り潰されており、緑のみが強調される。鬢は頭髪から完全に離れ、それ自体がとても短い。鬢飾りは素早く描かれたように見受けられそれぞれの形は不揃いになっている。後に本間久雄、義勝両工人が描く整ったリボン状の飾りとは一線を期す様式が興味深い。胴模様含め、全体的にさらさらとした草書体の筆運びという印象を受ける。

柏倉勝郎1-3

胴底は浅く削られており、「柏倉 2-40」と鉛筆書きされている。前所蔵者が昭和40年2月に入手した、ということであろうか。ちなみに柏倉勝郎はその前年の昭和39年12月に亡くなっているので制作年を判断する参考とはならない。

『こけし手帖』339号の川上克剛氏による「異才・柏倉勝郎こけしの魅力」の記事を参照すると、本項のこけしは胴の細長さ、花弁の線の細さから「No.9」1尺5分の作風に近いと思われる。昭和30年から昭和34年の夏過ぎまで酒田の物産館ならびに渡辺玩具店で販売されていたという戦後作である。同記事では同じ作例として『山形のこけし』の箕輪氏所蔵品が挙げていており、そちらを確認すると本項のこけしと瓜二つのこけしが掲載されていることがわかる。『山形のこけし』掲載品は昭和33年作。鬢、眉横から鼻の少し下までと短く、肩は高い。6寸大のこけしに重ね菊が3輪。花弁の線が細いところもとてもよく似ている。本項のこけしは緑が褪色しているが、『山形のこけし』掲載品に見られるような輪郭線による後期型の葉と、最下部はハの字の模様が描かれていたであろうことが推測される。

このこけしを入手したことにより酒田こけしに対する理解が深まっていけば良いなと思う。柏倉勝郎作という祖形を味わうことは酒田こけしの美の源流を探ることだけでなく、それを継承した本間久雄、義勝のこけしに対する視点が相対化されることも期待できるのではないだろうか。

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015: 平賀輝幸 ②

前項に引き続き、作並系の平賀輝幸工人について。

2015年6月20日ねぎしで開催された下谷こけし祭りに輝幸工人が参加されるというので伺った。店内にはいつもの「かわいいこけし」の他、おそらく謙蔵型と思われる古型もわずかながら並んでいたが最近とんと手を伸ばさなくなった1尺の大きさのため見合わせる。帰り際になってしまったが工人と直接お話しした。祖父にあたる謙次郎工人の甘美なこけしが2本目に手にしたこけしであったこと、そして古型を作ってほしいこと。輝幸工人の回答としては、①そっくりに写すことは(時間的労力的に)できない点、②完成まで多少時間がかかる点を予め了承してもらえれば写しの注文も受けるとのことであった。

帰宅後、手持ちの輝幸工人作とのバランスを考慮しつつ、数種の写しをお願いした。ちなみに、数種類の写しを一本ずつという頼み方に関しては、工人の負担が大きいため慎むべきという意見もある。なるべく負担にならないように同趣向のレパートリーがあればそちらで構わない旨お伝えしていたが、今回のこの頼み方はあまり褒められないやり方だったかもしれないと反省している。写しを頼むというのはもっと収集家としても気を使わなくてはいけないことなのかもしれない。

平賀輝幸1-3

2ヶ月ほど経って完成したこけしが送られてきた。左より、轆轤線8寸5分と白胴6寸5分、えじこ2寸5分と轆轤線7寸5分の4本である。各こけしとも「原」となるこけしを挙げて製作していただいた写しであるが、前述したように忠実に「原」を写すことを求めずに注文したということをはじめに断っておく。

左の8寸5分は『こけし事典』に掲載されている平賀謙次郎古型を元にしたもの。所有者は不明。作並系の蟹菊は各工人によって微妙な癖がありそれが作者判定の拠り所となるとは古来いわれているところであるが、輝幸工人による写しはそういった研究成果に準じたものであり、尚且つ葉の模様などは依頼の際に添付した画像の特徴が汲み取られていてその仕事振りにただただ感心した。面描に関しては上瞼が著しく湾曲している点、バッサリと描かれた前髪と鬢に古い謙次郎の面影が宿っているように思う。

その隣の6寸5分は同じく『こけし事典』に掲載されている白胴鉋溝入りのこけしを元にしたものである。これは植木昭夫氏収蔵品で同じこけしが『愛こけし』にも収録されている。『こけし事典』の写真はやや上からのアングルのため頭部が広く見える。一方、『愛こけし』は真正面から撮影されているため若干印象が異なる。輝幸工人にお送りしたのが前者ということもあってか、出来上がったこけしはいくぶん額が広いものとなった。写真による写し依頼の難しいところでもあり、また面白いところでもある。白胴型では頭頂に描かれる輪型の赤い飾りとその中心を貫く黒い一筋の頭髪が省略される。胴模様の葉の色は紫が用いられているのは前項の子持ちこけしの子こけしと一致する。面描は眉と目が頭の半分より下に描かれており、前述したようにおでこが広くみえる。一般的に目の位置が下に描かれるほど幼さが出てくるとされるが、筆の細さは反面大人びた雰囲気を醸す要因となっていて相対する要素が奇妙に同居しているように思われる。

右端の7寸5分は『こけしの美』掲載の久松保夫氏旧蔵品を元にしたもの。同書では平賀多蔵作とされているが『木の花』では謙次郎作の可能性も指摘されている。「原」は胴に水流れがあるが黒めがちの二側目は甘く表情可憐。この写しもその可憐さがよく出ているように思われる。全体としての調和もとれており今回の注文の中で最も気に入ったこけしである。遠目から見ると甘美な印象を受けるが近づいてみると眼点極めて小さく鋭い。作並系に限らず古品は筆に太さとメリハリがあり、それが情味に繋がっていることが多いように思われる。現代のこけしは筆の線は鋭く冴えている反面そういった古品の醸す味わいに欠ける節もある。人によってはそれを埋められない時代の壁と表現したりするようであるが、考え方を変えればこのこけしは古型をしっかりと消化しつつ、現代性も加味されたものということもできるだろう。この鋭さは輝幸工人の持ち味であり、普段「かわいいこけし」を作る工人の中にそういった素質があるということはとても面白いものに感じる。また、収集する側としてはこの鋭さが今後どうなっていくのかという点も大変興味深いところである。

今回は主に上記した3種を写してもらうことを考えていたが、注文したついでに古型の描彩を応用したえじこがあればとお願いしていた。出来上がったえじこがこの2寸5分。手持ちの文献では作並の古いえじこというのは見たことがなかった。後日、輝幸工人に確認したところ、「原」は『らっこコレクション』の中にあるものとご回答を頂いた。鋭い肩の段と胴のゆるやかなくねりが特徴的な形態で、蟹菊は描かれず轆轤線のみで構成されているにも関わらず、胴模様だけ見ても作並系のものと認識できる。頭頂の墨で引かれる一本線は赤が用いられている点も変わっている。写真では判りづらいが意表をつかれたような表情はとてもユーモラスであり、思いがけず良いえじこを入手できたと満足している。

3. 平賀輝幸工人について

『こけし時代』第4号に、ブルーノ・タウトが昭和8年に購入した2本の作並こけしの写真が載っている。当時一本10銭で入手したという。昭和8年の物価を調べてみると、白米10kg が1円44銭であったとのこと。平成16年の米10kg の価格は3536円。単純計算すると当時の10銭は現在の2456円位に相当する。もちろん物価上昇率や白米そのものの価値の違い等諸々を無視した上での話であり単純にどうのこうの言えるものではないが、今回の写しは昭和8年当時と比べてもかなり割安な価格になっている。安すぎはしないかと思ってしまう程である。そして、この写しの真価はまさにそこにある。つまり、現在愛好家が熱心に追いかけている高価なこけしというよりは、その昔湯治客が子どもに買っていった質素な土産物としての安価な値段で、さらりと古型を写してしまうというところに輝幸工人の奇特をみるのである。

古い風情を漂わすこけしの外見もさることながら、こけしという存在の有り様までが昔と変わらずに現代に継承されている。寡作ゆえの希少性があるというわけでもなく、ちょっと手が出ないような高価な新作を作る工人でもない。それでいて、今回のように負担になるような写しの依頼にも素早く応じてくれるこけし工人が他にどれくらいいるか。しかもこの人は作並直系の工人にも関わらず、である。さらに、出来上がったこけしは古作並の要所を押さえながら、輝幸工人らしさも充分に感じられるのだ。筆者は輝幸工人を古作並の名工と同格の存在と称するのに躊躇しない。

願わくば、古型細胴の木地形態で輝幸工人自身の工夫による面描、胴模様、蟹菊、轆轤線をもった本人型をみてみたい。奇をてらうことなく、しかし古風な情味を感じさせる本人型のこけしを。この工人であればそれが可能であろうし、50年後、100年後に作並こけしの名作が一堂に会したとして、謙蔵、多蔵、謙次郎といった名工の名品の中にあっても何ら遜色のないこけしを作ってくれるのではないかと思っているのである。


手持ちの平賀輝幸工人作。

平賀輝幸1-1

(後列左より)
・謙蔵型 8寸5分
・謙蔵型 鉋溝入り白胴 6寸5分
・多蔵型? 7寸5分
・謙次郎古型 8寸5分

(前列左より)
・入れ子親こけし 6寸3分
・同子こけし 4寸
・謙蔵型 えじこ 2寸5分
・謙蔵型 台付き 4寸
・謙蔵型 台付き 6寸5分

014: 平賀輝幸 ①

こけしの収集を始めて2本目で平賀謙次郎工人のこけしを入手していることが示す通り(「002: 平賀謙次郎」参照)、筆者は作並系こけしに少なからぬ愛着を覚えている。今回は平賀謙次郎工人の孫、平賀輝幸工人の古型写しについて。(以後、一部敬称略)

1. 歩み

平賀輝幸工人は昭和47年(1972年)3月1日、木地業・平賀謙一の長男として生まれた。昭和62年(1987年)、15歳の頃より木地修行を始め、こけしは平成2年(1990年)3月、工人18歳の時に作り始めたという。

輝幸工人のこけしの変遷は『こけし手帖』で追うことができる。最初にその作品が取り上げられたのは平成9年(1997年)7月発行の第437号、阿部弘一氏による「作並こけしの伝承ー平賀謙次郎・謙一・輝幸のこけしー」の記事である。工人25歳の作で、白胴8寸と台付き9寸2分が掲載されている。未だ筆定まらずといった様子であるが、丁寧に師である謙次郎、謙一両工人の作風を模倣していることが伺え、その後の躍進を感じさせる初期の習作である。

次に登場するのが平成12年(2000年)7月発行の第475号、青野弘氏による「平賀輝幸工人の近作こけし」。工人28歳の作品である。太胴なで肩の親子三代セットを皮切りに、青野氏は6寸3本、8寸3本、3寸7本の製作を依頼し当時の作風を紹介しており、作風の変遷を考える上で非常に役立つ好資料となっている。作品、未だ試行錯誤の段階とみられ、木地形態が決まらない印象はあるものの、蟹菊は工人独自の様式が認められ筆運びにも力がある。面描は現在にも通じる鋭さが出ているように思われる。青野氏も「大きめの頭、顎の絞りなどに多少の誇張があっても、今後を考えた場合、輝幸さんの作品の方向性に好感を覚えます。大成を期待します。」と結んでいる。

それから2年後、平成14年(2002年)3月発行の第494号にやはり青野氏が「平賀家三代の近作こけし」という記事で再び輝幸工人を取り上げている。ここで見られる5寸10本セットにおいて、作風が飛躍的に向上していることに驚かされる。記事のバランスが取れ、面描明快で表情にも自信が溢れているように感じる。前年の全国こけし祭りでも「審査員奨励賞」を受賞されたというのも頷ける出来映えである。

始めて作品が掲載されてから5年ほどの間に謙蔵はじめとする古い型を学び作品を向上させてきた足跡がこうしてつぶさに記録されているのは大変参考になる。現在の活躍はこの時期の研鑽に裏打ちされているということいえるだろう。

2. こけし鑑賞

平賀輝幸工人はふとっちょこけし、ソフトクリームこけし、金魚柄のこけしといったいわゆる「かわいいこけし」で女性こけし愛好家からも人気の若手工人であるが、謙蔵、謙次郎、謙一と続く作並本流の正統な後継者であるその人が、伝統性の希薄なこけしばかりをイベント会場に並べている状況に少しばかり歯痒さを感じていたことを告白する。

もちろん、そういったこけしを生み出す創造性、感性、時代感覚はこけし工人として非凡なものを有していると認めているつもりではあったが、それらのこけしはどうにも食指の動くものではなかったのもまた事実であった。自分が求めているものは古い作並の風情と味わいを感じさせてくれるこけしへと移行していた。幸い、収集最初期に参考とした『kokeshi book 伝統こけしのデザイン』にも『こけし時代』第4号にも輝幸工人の手がけた古型が多数掲載されており、その中には古格漂わす本格的な作風のこけしも見受けられ、そのことは作並こけしを収集していく上ではひとつの希望となっていた。

平賀輝幸1-2

初めて手に入れた輝幸工人作は右2本、6寸3分と4寸の入れ子こけしであった。親こけしは頭部が胴体より細くなっている比較的珍しい形態で蟹菊も4輪描かれている。黒髪のおかっぱ頭でその面描は甘めであるが目尻が少し上がった表情は優美でもある。このこけしの胴自体、なかなか細いものであるが更に入れ子細工が施されていることに驚く。子こけしは鉋溝入り白胴4寸で、葉の色に紫を使っている。この表情が『こけし時代』の中で最も気に入ったもので、二側目の下瞼が下に膨れて独特の鋭い目つきをしている。冒頭に挙げた「かわいいこけし」群とは対極にある表情と言えよう。現代的な「かわいいこけし」と渋みさえ滲む古風なこけし、この両極端を同時に作り分けるこの工人は一体どういう人物なのか興味が湧いた。

次に手にしたこけしが左の8寸5分。オークションで落札したがこれは前述した入れ子こけしと同じ出品者からのものであった。平賀こけし店で直接購入したとのことであるが、その時店内にこのような古型はこれ一本しか置かれていなかったそうである。このこけしには荒々しく鉋跡が残されていて、濃いめの染料が木肌に染みる様は得も言えぬ深い味わいを醸している。このこけしによって輝幸工人に対する印象が完全に逆転したように思う。もはや先に述べたような歯痒いという印象は霧散したのである。

平賀輝幸1-4

高幡不動にあった茶房たんたん(現 民芸サロン楽語舎)では謙蔵型、多蔵型、謙次郎型といった古型を写した頒布品をいくつか取り扱っている。その中の謙蔵型の台付き細胴のこけしが手持ちの輝幸作とのバランスも良いように思われ次の一本とすべく店へと向った。写しの頒布にあたっては各型につき通常10本程の製作を依頼するそうで、お目当ての台付きこけしも数本の中から選ぶこととなった。

面描に若干の変化がある場合、何を基準に一本を選べば良いのか判断に苦しむ。これは本間義勝工人作の酒田こけしを選ぶ時にも感じたことだった。楽語舎の店主・姫野さんに聞くと、他人がどういうかより、自分の良いと思ったこけしを選べば良いのだ、ということであった。そうやって選んでいくことで、こけしを見る目が養われていく。それまでには少なからず失敗もするものであると。この日、選んだこけしは後年の自分にはどう映るのだろうか。

それはともかく、結局この日入手したのは台付き細胴6寸5分と、同4寸。6寸5分は『東北のこけし』に掲載されている謙蔵作の写しであるとのこと。眼光鋭いながらもどことなくユーモラスなところがあり、ちょっと憎めない雰囲気を醸し出していてそこにこのこけしの愛らしさがあるように思っている。4寸は一本しか残っておらず、その分迷うことはなかった。このこけしも「原」となるこけしが存在するということであるが、詳細は分からない。こちらの表情は下瞼が上瞼とくっつかず、甘美。適度な小ささもあって「かわいいこけし」にも通じる現代性を感じている。

013: 鳴子の旅

2015年9月4日(金)、第61回全国こけし祭りに参加するため深夜バスに乗り込んだ。初めての鳴子への旅である。

23:20に代々木のバスターミナルを出発して翌5日(土)5:16に仙台に到着。そのまま東北本線一ノ関行きの電車に乗車し、途中小牛田(こごた)で陸羽東線に乗り換える。黄金色に色づき始めた田園地帯を抜け、山の麓まで来ると硫黄の匂いがしてきてああ温泉に来たんだなと実感する。そうこうするうちに7:46には鳴子温泉駅に到着した。

鳴子旅2015-1

写真は駅前すぐのところにあるこけしガードレール。先ずは宿泊する宿に荷物を預け、こけし奉納式が執り行われる温泉神社へ。式自体は感銘を受ける何かがあった訳ではないが、『羨こけし』愛読者としては神社の片隅にある深澤要の歌碑に熱いものを感じざるを得なかった。

鳴子旅2015-2

神社から全国こけし祭りの会場となっている鳴子小学校へ抜けると既に多くの人が並んでいた。この人達のお目当てはコンクールへの出品作。こけし工人は出品にあたり最も出来の良いこけしを選ぶという理由があるという。あまり並ぶのが好きではないので朝食代わりに出店で売られていたはっと汁、横手やきそば、牛タン串などに舌鼓を打ちつつ時間をやり過ごし、最後尾にくっついて入場したが、なかなかの盛況振りでめぼしい出品作は売約済みであった。

ちなみに出品作を購入する場合は、受付に欲しいこけしを持っていき手続きをする。売約されたこけしの下には赤い札が添えられる。購入したこけしは2日目に引き取りにいくか、後日郵送される仕組みになっていた。初参加者にはなかなか分かりづらいシステムではある。会場では他に、招待工人の実演展示ブース、即売コーナー、足踏み轆轤の実演、過去の入賞作の展示、絵付けコーナーの他、鳴子漆器展、江戸下町職人展も併設されていた。なお、2015年の招待工人は、津軽系・長谷川健三工人、鳴子系・菅原修工人、山形系・小林清工人、遠刈田系・佐藤保裕工人、弥治郎系・鎌田孝志工人、土湯系・阿部国敏工人の6工人であった。

会場にてinstagram で交流のあるポンサ氏、ぼたん氏とお会いする。両氏は地元鳴子の有名な蒐集家宅を訪問した後、高橋正吾工人宅へ伺うということで、ポンサ氏の車に同乗させていただいた。訪れた蒐集家のお宅はメディアでの露出もされている有名なこけし棚が設置されていて、当日は様々なこけし愛好家がひっきりなしに訪れ見学していた。廊下、縁側、居間の上部に設けられたガラス戸付きの収納スペースにおびただしい数のこけしが陳列されている風景は圧巻。現役工人の近作も分け隔てなく蒐集されていたのが印象的でこけし愛をひしひしと感じた。

蒐集家宅を辞去し、高橋正吾工人の工房へお邪魔する。正吾工人の手がける遊佐雄四郎型のこけしはかねてより注目しており、今回の旅でもなんとか訪れることが出来ないものか模索していたのであるが、一見がいきなり訪れるのは難しいという結論に達しほとんど諦めかけていたところであったので、このような機会に恵まれ非常にありがたいことであった。さらに、工房で見せて頂いたこけしの中に一本だけ雄四郎型があり入手することができたという幸運はなんと表現すれば良いだろうか。ちなみに対応にあたってくださったのは奥様で、木取り等の作業もされているとのことであった。

こけしを譲って頂いた後、正吾工人に雄四郎型に興味があると伝えると、雄四郎という工人の歩みやこけしの作風について話をして頂けた。また「百数十年前に生まれたこけしが東北という地のみで現在まで形を変えずに受け継がれてきた意味を考えることにこけしの美しさを知る鍵がある」という趣旨の話は深く考える価値あるものだった。雄四郎型の他にも佐藤乗太郎の写しなどがあり、入手しなかったことが少し悔やまれる。また訪れて、今度はゆっくりお話を聞きたい工人さんができたのはとても喜ばしい。帰り際、奥様とともに表まで見送ってくれた。

鳴子旅2015-3

正吾工人の工房を後にして、日本こけし館で開催されている中古こけしオークションに参加した。入札番号は4桁のものもあったので千本以上の本数であったと思われる。気になったこけしの番号を控えておき、申し込み用紙にその番号と入札金額、住所、氏名を記入し、後日の結果待ちとなる。この金額で落札できればラッキーという消極的な入札だったので果たして?鳴子のお膝元ということもあったのか、入札したこけしは鳴子系の古老といわれた工人のものが多かった。

入札が終わり、いざ館内を見学しようとすると、ポンサ氏が次は佐藤實工人の工房へお邪魔するのでどうかと誘ってくれた。實工人も正吾工人同様、訪れられるものなら訪れたい工人さんであったのでお言葉に甘えて再び同乗させて頂くことにした。東北のこけし旅において車の有る無しは結果に大きく響く。ポンサ氏には感謝してもし足りない。この場を借りて改めてお礼申し上げます。

實工人の工房は有名な鳴子峡の近く。趣のある古民家に利口でおとなしい愛犬一匹。自宅は鳴子温泉の方にあるが、静かな環境で製作にあたられている。秋の紅葉シーズンになるとこの辺りは観光客で混雑し、工房を訪れこけしを買っていく人も増えるらしく、それに向けて鋭意こけしを増産中であった。實工人は故桜井昭二工人の実弟。岩太郎系列の重要工人・大沼甚四郎型を手がける。好んで山を廻る健脚の持ち主で83歳とは思えない活力を感じさせる方である。並べられたこけしで特に目を引いたのは小寸こけしだった。1寸ばかりの小さな木地に味わいのある面描。その細かい技に驚かされる。結局、甚四郎型6寸1分とねまりこ1寸9分を求めお暇する。實工人もやはり我々の車が見えなくなるまで表に出て見送ってくれた。その風景を思い起こす度、工人のあたたかなおもてなしの心に心が満たされる思いがする。

鳴子旅2015-4

帰りがけに鳴子峡に寄る。鳴子峡は東北旅行のポスターなどでも度々登場する名勝。紅葉の頃には長い渋滞がどこまでも続くという。今年も實工人のもとへ立ち寄った観光客たちはあの小さなこけし達の中から気ままにひとつふたつを持ち帰るのだろう。

鳴子旅2015-6

鳴子温泉駅まで送って頂いて、ポンサ氏と別行動を取る。せっかく中心部に戻ったので、こけし通りにある桜井こけし店で「創成期の鳴子こけし」復元作を買い求めた。時刻は15:00を過ぎ、ホテルにチェックインしなくてはならなかった。予約したホテルは、鳴子温泉のパンフレット等に掲載される地図にギリギリ入るような外れに位置する亀屋という所。フロントで尋ねると、夕食は18:00もしくは19:00から。全国こけし祭りの目玉であるはりぼてこけしのパレードは町の中心部で18:30からということだが、残念ながら食事の時間は融通がきかないという。仕方なしに18:00から夕食をとり、急いで中心部へと向う。途中で地元の神輿に遭遇する。「どっこいどっこい」という聞き慣れないかけ声のコールアンドレスポンス。先を急ごうとするが神輿を担ぐ人の群れはなかなか進まない。ようやく中心部に到着した頃にははりぼての「は」の字もなかった。教訓としては、はりぼてこけしパレードを見るのなら中心部のホテルで、食事の時間を考慮してくれる所を探すか、そうでなければ素泊まりにするべきであるということ。一年目はなかなかそういうことが分からないので今後参加をご検討の方はご参考までに。若干の失意の中で一日目を終えたが、温泉と食事はなかなかのものであった。

2日目。起床後、朝の温泉に浸かってから朝食をとり宿を後にする。2日目は曇りがちの天気であった。駅のコインロッカーに荷物を預け、タクシーで再び日本こけし館へ。鳴子温泉駅から日本こけし館まではだいたい1,100円くらいかかった。前日見なかった深澤要コレクションが目的であったが、館内を廻ってみたところ、蔵王こけし館で感銘を受けた名和コレクションの鳴子系も寄贈されていてそちらもかなり見応えのあるものだった。

一度中心部に戻り、小学校の会場で工人の実演展示を見る。2日目になるとさすがにけっこうな数のこけしが旅立っていた。その後、えがほ食堂で昼食。親子丼を頼んだのだが、これが予想していた以上に美味しくて満足した。また鳴子を訪れた折には利用させて頂こうと思った。

鳴子旅2015-5

昼食後、町を回る頃には霧雨が降り始めた。小学校の会場で絵付け体験をする。アクリル絵の具だったのが少し残念ではあった。その後、前日心に引っ掛かっていた庄司永吉型6寸1分を桜井こけし店で購入。結局、桜井こけし店では「創成期の鳴子こけし」復元作と合わせ2本を入手したことになる。コテコテのジャズ(ハードバップ)が流れるモダンな雰囲気の店内であった。

まだ時間があったので三たび日本こけし館へ。2日目の午後ともなるとほとんど人もいなくなり、じっくり深澤/名和両コレクションを堪能できた。こけし館を出る頃には雨が本降りに。こけし館の前に循環バスが寄るというので帰りはそれを使う。400円也。他に乗客は誰もいなかった。

鳴子旅2015-8

旅の終わりはひとり、雨の鳴子を彷徨う。平素の鳴子はこのようにひっそりとした雰囲気なのだろう。前日のお祭りの賑やかさを知っている分尚更静かに感じた。旅館の浴衣を着て、下駄を鳴らしながら町をそぞろ歩けばさぞ趣き深いだろうと思われる。こけしに興味のない人でもお土産に鳴子こけしの一本でも求めたくもなろう。

鳴子旅2015-7

そんなことを考えながら高亀で実に鳴子らしいこけしを一本求めた。高橋武俊工人作6寸。旅の終わりの寂しさと充実感に満たされながら、18:01発の電車に乗り帰路についた。

附記)
実家の居間に飾られた高亀のこけしはいかにもお土産物に頂きましたといった体で一番見晴らしの良いところに置かれている。轆轤線を用いた華麗な胴模様は実家の居間に飾るのに丁度良い。鳴子こけしは今も昔もやはり温泉の土産物なのだと腑に落ちた。

012: 本間久雄 ④

美しい酒田こけしである。

オークションで出品されていた時の画像では細部まで気が回らず、面描の細い筆使いから漠然と昭和49年頃の作であろうと推測している程度であった。しかしどうであろう。手元に届いたこけしは予想に反し、それまで見たこともない特徴を多分に孕んでいたのである。

本間久雄4-1

これがそのこけし。本間久雄作、大きさは6寸2分。この表情、酒田こけしに注目する者であればすぐ分かるが、深澤要の名著『こけしの微笑』に挿絵として掲載されている柏倉勝郎作を模している。「その愛らしい丸顔、首から肩ヘかけてのなだらかな線、質朴な菊模様は、全体の形態との調和もとれていて心憎いほどのおぼこ振りである。」というかの名文を与えられた最も知られている勝郎作である。「深澤勝郎写し」と名付けても問題はないだろう。このこけしにおいて、「深澤勝郎」の特徴は①富士額気味の頭髪、②頭髪にくっつく鬢、③V字形の口元、あたりに大きく出ている。特にV字形の口は他の本間久雄作では類を見ない。面描の筆はやや細いが表情も明らかに原を意識したであろうもので、明るく前向きな笑みとなっていることに好感を持てる。

原との相違点としてまず挙げられるのは重ね菊の数で、原の4つに対してこちらは3つと数が少ない。また、久雄のトレードマークともいうべき菊花の下に加えられる小さな2つの赤点も加えられていることも見逃せない。つまり、胴模様に関しては以降のそれと全く同手のものであり、この時点で久雄の手がける酒田こけしの様式として確立していたということがうかがえるわけである。

というわけで必ずしも原に忠実な写しというわけではないが、しかし本間久雄がある段階で酒田こけしの祖形であるところの柏倉勝郎のこけしを学んだことの証左となることは疑いようがない。

問題はこのこけしが工人の製作年代のどの時点で製作されたかということである。前述の通り、主に面描における線の細さから昭和49年頃のもの、つまり『山形のこけし』掲載の昭和49年作のこけしと同時期のものではないかとある程度の予想はついたのであるが、その直前なのか、それより後のものなのかによって以降の作風にどう影響を与えたかの意味合いが微妙に変わってくるのではないかと思われる。

本間久雄4-3

年代判定の拠り所としたのは胴底の通し鉋の脇に残る小さな2つの爪跡。この爪跡を有するのは手持ちの酒田こけしの中では「005: 本間久雄 ①」で紹介した「柏倉勝郎型」の銘を持つ昭和49年作のみである。それ以降の胴底の通し鉋からはこの小さな爪跡は消える。このことから「深澤勝郎写し」は「勝郎型」と同時期に製作されたものと推測され、そして「初期は署名が胴背面、中期以降は胴底に移る」という流れに則ると胴背面に署名がなされている「勝郎型」の後で胴底に署名された本項の「深澤勝郎写し」が作られたという結論になる。

本間久雄4-2

以上をまとめると、本項のこけしは昭和49年作で「勝郎型」と『山形のこけし』掲載の面描線の細いこけしをつなぐ時期に深澤要旧蔵の柏倉勝郎作を原に製作された写しで、この頃既に胴模様は確立し面描の細さは以降の昭和49年作にも引き継がれたということになる。

「本間儀三郎型」といういささか的を得ないこけし(別項参照)を作った後、本間久雄が集中して柏倉勝郎型に着手をしているのは非常に興味深い。その際に誰かしら/何かしら外部からの助言があったのかは分からない。或いは工人自らの意思による復元であったのかもしれない。いずれにしても、通し鉋の脇に残る爪跡をもったこのこけしたちは、暗中模索を続けてきた本間久雄の酒田こけしの取り組みの中でも大きな突破口となったことだけは確かであろう。

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005: 本間久雄 ①
010: 本間久雄 ②
011: 本間久雄 ③

011: 本間久雄 ③

ひとつのこけしを手にしたことが契機となりそれに関連するこけしが漸次集まってくる。蒐集という行為にはそのような傾向があるようだが、それはその型/その工人に興味関心が向いている結果に他ならない。阿房こけし洞における最大の関心は言うまでもなく酒田こけしである。先日入手した本間久雄作もまた見所の多い一本であった。

本間久雄3-1

こちらがそのこけしで大きさは6寸7分。表情少し元気なく木地形態も丈の割に胴太のようにも思われたが、背面の署名だけは見過ごすわけにはいかなかった。つまり「本間儀三郎型」と書かれていたのである。一般的に本間久雄の義父であるこの本間儀三郎という人物は木地挽きのみを行った木地師で筆はとらなかったとされており、それを踏まえると一層この「本間儀三郎型」という署名に興味を掻き立てられたのである。

本間久雄3-2

前項の初期作(以下、「山形手」)と比べると、胴模様に大幅な変化が認められる。未だ筆に迷いが生じている節はあるものの、後年の酒田こけしの典型として定着することとなる様式でもって重ね菊があしらわれているのは興味深い。肩と黄胴の間の轆轤線は黄色の線がなくなり赤と緑の2色となった。面描には筆の太さと稚拙さが見受けられ鬢も頭髪とくっついているのは「山形手」と同様。鬢飾りは各鬢の中心付近を起点として花弁4枚の花びらのようにぼってりと丸っこく描かれている。

本間久雄3-3

さらに実物を手にしてわかったのはこのこけしも胴底が柏倉勝郎風にくり抜かれていることであった。手持ちの本間久雄作では「山形手」のみが同様の手法をとっていることから、この胴底の形状を決め手としてこのこけしを初期の作品と判断した。

胴底の形状はしかし製作年の推測には役立つが、本来錐で大きく穴をあけたとされる儀三郎の手法としては当てはまっていない。ここにひとつの矛盾が生じているのである。ここで考えられるのは

A. 単純な本間久雄の認識違い
B. 本間儀三郎名義の原となるこけしが存在した
C. 酒田こけしを製作するにあたり、久雄の中では柏倉勝郎の型というより義父の関わったこけしを復活させるという想いが強かった

のいずれかではないだろうか。いまのところそれを検証する手立てはないが、このこけしに義父へのトリビュート的な意味合いが込められていたであろうことは疑いようがない。

ずんぐりとした木地形態や轆轤線、重ね菊等の特徴は昭和49年1月に発行された『こけし手帖155号』に掲載されている6寸に相通じる。以上のことを踏まえるとこのこけしは昭和48年頃に製作された初期作という結論になる。鑑賞対象としてはいささか物足りない作風ではあるが、酒田こけしの変遷をみていく上では大変示唆に富む一本である。

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005: 本間久雄 ①
010: 本間久雄 ②

010: 本間久雄 ②

本間久雄工人と本間義勝工人による酒田こけしは阿房こけし洞の中で最も重要な研究対象であり折に触れて入手したこけしを掲載していくつもりであるが、先日入手した本間久雄作はとても資料性の高い一本であったので今回はその報告とする。なお、本間久雄工人の略歴等は「005: 本間久雄 ①」の項をご参照ください。(以後、一部敬称略)

本間久雄2-1

こちらが今回入手したこけしで、高さは5寸9分。作風から『山形のこけし』に掲載されている7寸と同時期のものと推測される。同こけしは本間久雄が柏倉勝郎型を復活させた昭和48年の作品として紹介されている。

特徴的なのはなんといっても胴の重ね菊で、花弁一枚一枚が離れていてそれぞれ上向きに跳ねており、後年に見られる上下の赤丸を結ぶ縦線と下の丸に添えられる2つの小さい点がまだ描かれていない。上下の赤丸自体も小さく弱々しい。また、象形文字を髣髴とさせるような葉の模様もこの時期だけにみられる特異な様式である。肩ならびに最下部の赤帯と黄胴の間に引かれる轆轤線は赤の他に緑と黄色が用いられており賑やかである。

面描は必ずしも安定した筆致とはいい難いものの線自体は太く、それがかえって他の時期には見られない一種の情味を生んでいるようにも感じられる。びんは頭髪にくっついているが後年になるにつれ頭髪から離れていく。これは祖形である柏倉勝郎の傾向と同じでありなかなか興味深いところではある。またびん飾り自体が無造作に描かれており、様式化される以前の土臭さがあるように思われる。

本間久雄2-2

署名は背面にされている。これは製作初期にだけに認められるものでこれより時代が下ると胴底へと移動する。したがって背面への署名の有無はひとつの年代判定の拠り所となると考えられる。

本間久雄2-3

木地に関して特筆すべきは胴底だろう。胴底は勝郎の自挽きした木地と同じように底全体を3mmほどくり抜いている。これは後に通し鉋へと変化するが、勝郎方式のくり抜きから儀三郎方式の通し鉋への変化という柏倉勝郎とは逆の流れになっているのが面白い。胴自体は細く首のはめ込みもゆるいが、表情や胴模様の印象と相まって儚げな雰囲気を醸し出している。

以上のように、稚拙の味わいのある面描、変わった重ね菊、頼りなさげな木地、底のくり抜きなど、全体的に特色のあるこけしといえる。勝郎型の酒田こけしを作っていくにあたり、久雄が独自の様式を確立せんと意図的にこれを生み出したのか、勝郎型の様式を手探りで固めていった習作なのかは判断し難い。或いは勝郎の残したこけしにこれと似たようなものがあるのだろうか。残念ながらそのようなこけしは寡聞にして見たことはないがいずれにせよ、この様式は久雄の酒田こけし製作におけるごく初期の限られた時期だけに見られるものである。それは酒田こけしが勝郎本人以外の工人に継承されていく過程の記念すべき第一歩であるといえ、酒田こけしの歴史を語る上で欠かすことは出来ないこけしなのではないかと考えている。
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