019: 五十嵐嘉行 ②
こけしを集め始めたはじめの頃 ー現在のように特定の型、特定の工人作に拘らず、気の向くままあれこれと手を伸ばしていた時期であるがー ネットオークションで見かけた一本のこけしにたちまち心を奪われた。
津軽系・間宮正男工人による達磨こけしである。全体を白黒灰色で統一し、唇にだけアクセント的に赤を用いたモノトーンこけしで新型に分類されてもおかしくはないものであったが、そのつぶらな瞳と、簡素でモダンな彩色、効果的な赤の使用、木地の余白、すらっとしたフォルム、そして抽象化された胴の達磨模様には汲めども尽きぬ魅力が溢れていた。
また時を同じくして、別の出品者がやはり間宮正男工人による同趣向の面描に赤と紫を用いた達磨こけしも出品していた。こちらはおかっぱ頭で、先述のこけしが垂れ鼻なのに対しこちらは猫鼻、しかし轆轤線に挟まれた胴にはやはり例の達磨模様が描かれていた。この2本が同時期に出品されたことが、私の脳裏にこの型の存在を強烈に印象づける要因となったことは疑いようがない。
残念ながら私はそれらのこけしを落札することはできなかった。オークション初心者であった私はこれらのこけしがいくらで落札され得るかも、またその珍しさも分かっていなかったのである。以来、その型のこけしを気にかけて探してきたが現在に至るまで市場に出回ったことはないように思われる。逃した獲物は大きく、忘れ難い。
「写し」の依頼という注文方法があるのを理解したのはその後のことである。幸い、私は未練がましくもその時の出品写真を落札敗退画像として保存していた。さらに幸運であったのは、間宮正男工人の弟子にあたる工人さんがご健在で、しかも興味関心の深い酒田から近い鶴岡にお住まいだということだった。それが五十嵐嘉行工人である。
かくして2015年6月に酒田を訪れた折に、鶴岡も回り五十嵐嘉行工人にこの間宮正男型達磨こけしの写しをお願いすることにしたのである。
嘉行工人宅にお伺いした時に見せて頂いた正男工人と嘉行工人の2ショット写真に大小の赤い達磨こけしが写っていた。その時の工人談では「この達磨模様は見たことがない」ということであった。一般的な正男型の達磨絵はもっと迫力がある。この達磨の目は大きな丸い眼点のみで構成されており、それが独特の愛嬌を生み出しているように思われる。初めての写しの依頼でなんやかんやと要領を得なかったがとにかく注文することが出来た。

後日出来上がったこれらのこけしは間宮正男型達磨こけしの初作ということになろうか。ともに6寸大。2本とも胴が太く、ずっしりと重いのは嘉行工人の持ち味の表れだろう。
白黒こけしの面描は丸形に近い頭部の中央上よりにちまちまと描かれていて「原」とは別種のふくよかな可愛らしさを生んでいる。もう少し轆轤線にメリハリが欲しいところではあるが、肝心の達磨模様はほぼ「原」の雰囲気が再現されている。一方、赤のこけしは面描、全体の雰囲気ともに「原」に肉迫する出来。「原」の正確な寸法を失念してしまったのだがおそらく4寸か5寸だったかもしれない。それがそのまま6寸に拡大された雰囲気を持つ。
こうして2本を並べると魅力がさらに増すように感じられ心満たされる。憧れていたこけしが今こうして目の前にあるという喜びは格別である。素晴らしい写しを作ってくださった嘉行工人に心より感謝申し上げたい。
津軽系・間宮正男工人による達磨こけしである。全体を白黒灰色で統一し、唇にだけアクセント的に赤を用いたモノトーンこけしで新型に分類されてもおかしくはないものであったが、そのつぶらな瞳と、簡素でモダンな彩色、効果的な赤の使用、木地の余白、すらっとしたフォルム、そして抽象化された胴の達磨模様には汲めども尽きぬ魅力が溢れていた。
また時を同じくして、別の出品者がやはり間宮正男工人による同趣向の面描に赤と紫を用いた達磨こけしも出品していた。こちらはおかっぱ頭で、先述のこけしが垂れ鼻なのに対しこちらは猫鼻、しかし轆轤線に挟まれた胴にはやはり例の達磨模様が描かれていた。この2本が同時期に出品されたことが、私の脳裏にこの型の存在を強烈に印象づける要因となったことは疑いようがない。
残念ながら私はそれらのこけしを落札することはできなかった。オークション初心者であった私はこれらのこけしがいくらで落札され得るかも、またその珍しさも分かっていなかったのである。以来、その型のこけしを気にかけて探してきたが現在に至るまで市場に出回ったことはないように思われる。逃した獲物は大きく、忘れ難い。
「写し」の依頼という注文方法があるのを理解したのはその後のことである。幸い、私は未練がましくもその時の出品写真を落札敗退画像として保存していた。さらに幸運であったのは、間宮正男工人の弟子にあたる工人さんがご健在で、しかも興味関心の深い酒田から近い鶴岡にお住まいだということだった。それが五十嵐嘉行工人である。
かくして2015年6月に酒田を訪れた折に、鶴岡も回り五十嵐嘉行工人にこの間宮正男型達磨こけしの写しをお願いすることにしたのである。
嘉行工人宅にお伺いした時に見せて頂いた正男工人と嘉行工人の2ショット写真に大小の赤い達磨こけしが写っていた。その時の工人談では「この達磨模様は見たことがない」ということであった。一般的な正男型の達磨絵はもっと迫力がある。この達磨の目は大きな丸い眼点のみで構成されており、それが独特の愛嬌を生み出しているように思われる。初めての写しの依頼でなんやかんやと要領を得なかったがとにかく注文することが出来た。

後日出来上がったこれらのこけしは間宮正男型達磨こけしの初作ということになろうか。ともに6寸大。2本とも胴が太く、ずっしりと重いのは嘉行工人の持ち味の表れだろう。
白黒こけしの面描は丸形に近い頭部の中央上よりにちまちまと描かれていて「原」とは別種のふくよかな可愛らしさを生んでいる。もう少し轆轤線にメリハリが欲しいところではあるが、肝心の達磨模様はほぼ「原」の雰囲気が再現されている。一方、赤のこけしは面描、全体の雰囲気ともに「原」に肉迫する出来。「原」の正確な寸法を失念してしまったのだがおそらく4寸か5寸だったかもしれない。それがそのまま6寸に拡大された雰囲気を持つ。
こうして2本を並べると魅力がさらに増すように感じられ心満たされる。憧れていたこけしが今こうして目の前にあるという喜びは格別である。素晴らしい写しを作ってくださった嘉行工人に心より感謝申し上げたい。
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018: 本間久雄 ⑤
「005: 本間久雄 ①」で紹介した本間久雄工人の「柏倉勝郎型」をここに改めて掲載する。

このこけしはおぼちゃ園が入手した初めての酒田こけし、初めての本間久雄作であった。先に結論付けたように、この「柏倉勝郎型」は久雄の酒田こけし製作史においてはブレーキングポイントとなった時期のものと考えられる。酒田こけしの継承にあたり試行錯誤を続けてきた中で、祖形となる柏倉勝郎作の写しに取り組み、その後の「本間久雄による酒田こけし」を確立するに至る流れの中で作られたこけしといえるのだ。

胴背面には「酒田 柏倉勝郎型 本間久雄」と署名がなされている。一本のみを所有しているだけでは分からなかったことであるが、実はこのように「柏倉勝郎型」と明記されている久雄作は少数派で、大部分は胴背面もしくは胴底に「酒田 本間久雄」とだけ署名される。しかしそれにしても柏倉勝郎作に肉迫した感のある「深澤勝郎写し」でさえ用いられていない「柏倉勝郎型」の銘がこの様式のこけしに特記されているのにはなかなか興味をそそられる。このこけしに「原」となるこけしは存在するのであろうか。
このこけしの特徴としては、①太い面描、②ムスッとした表情、③頭髪とくっつかない鬢、④鬢飾りの下部が一本線、⑤段のつかない緩やかな肩のライン、⑥細めで裾にかけて僅かに広がる木地形態、⑦丸みを帯びた花弁と葉、⑧葉の最下部が「ハ」の字型(これは勝郎作にもよく見られる)、⑨花弁は左右同数で計8枚、⑩菊花の下に小さな赤点がつかない、⑪胴の背面に署名、⑫胴底の通し鉋に小さな爪跡、等が挙げられる。特に⑤はそれまでの久雄作には見られないもので⑧とセットで考えると何か手本となるこけしがあっても良いような気もしてくる。「深澤勝郎写し」と同程度、或いはそれ以上の精度で忠実に写された復元作という可能性もやはり否定することはできないだろう。

「深澤勝郎写し」の項の繰り返しになるが、この「柏倉勝郎型」は「深澤勝郎写し」よりも前に製作されたと推測される。「深澤勝郎写し」は、面描の細さ、重ね菊の様式に久雄の独自性が認められ、かならずしも「原」に忠実な写しとはいえない。仮にそこが「柏倉勝郎型」と明記されていないひとつの理由だとしたら、ますます本項のこけしが忠実な写しであるという可能性は高まるようにも考えられはしないだろうか。
初掲載の折には「寝ぼけ眼か、あるいは少しムスッとしたような不機嫌顔で思春期の娘を思わせる表情である」と書いたが今改めてこの表情を見つめると、力強く、凛々しい。極太の鬢を伴う表情からは並々ならぬ意志の強さを感じさせられる。これはこの時期だけに見せた久雄の強気の表情である。久雄の続けてきた酒田こけしへの取り組みがようやく実を結ぼうとしていたのである。

最後に先日入手した柏倉勝郎作6寸2分と並べてみる。表情、情味とも本家に敵わないものの、あながち遠からず、ではないだろうか。
過去の本間久雄関連記事
「005: 本間久雄 ①」
「010: 本間久雄 ②」
「011: 本間久雄 ③」
「012: 本間久雄 ④」

このこけしはおぼちゃ園が入手した初めての酒田こけし、初めての本間久雄作であった。先に結論付けたように、この「柏倉勝郎型」は久雄の酒田こけし製作史においてはブレーキングポイントとなった時期のものと考えられる。酒田こけしの継承にあたり試行錯誤を続けてきた中で、祖形となる柏倉勝郎作の写しに取り組み、その後の「本間久雄による酒田こけし」を確立するに至る流れの中で作られたこけしといえるのだ。

胴背面には「酒田 柏倉勝郎型 本間久雄」と署名がなされている。一本のみを所有しているだけでは分からなかったことであるが、実はこのように「柏倉勝郎型」と明記されている久雄作は少数派で、大部分は胴背面もしくは胴底に「酒田 本間久雄」とだけ署名される。しかしそれにしても柏倉勝郎作に肉迫した感のある「深澤勝郎写し」でさえ用いられていない「柏倉勝郎型」の銘がこの様式のこけしに特記されているのにはなかなか興味をそそられる。このこけしに「原」となるこけしは存在するのであろうか。
このこけしの特徴としては、①太い面描、②ムスッとした表情、③頭髪とくっつかない鬢、④鬢飾りの下部が一本線、⑤段のつかない緩やかな肩のライン、⑥細めで裾にかけて僅かに広がる木地形態、⑦丸みを帯びた花弁と葉、⑧葉の最下部が「ハ」の字型(これは勝郎作にもよく見られる)、⑨花弁は左右同数で計8枚、⑩菊花の下に小さな赤点がつかない、⑪胴の背面に署名、⑫胴底の通し鉋に小さな爪跡、等が挙げられる。特に⑤はそれまでの久雄作には見られないもので⑧とセットで考えると何か手本となるこけしがあっても良いような気もしてくる。「深澤勝郎写し」と同程度、或いはそれ以上の精度で忠実に写された復元作という可能性もやはり否定することはできないだろう。

「深澤勝郎写し」の項の繰り返しになるが、この「柏倉勝郎型」は「深澤勝郎写し」よりも前に製作されたと推測される。「深澤勝郎写し」は、面描の細さ、重ね菊の様式に久雄の独自性が認められ、かならずしも「原」に忠実な写しとはいえない。仮にそこが「柏倉勝郎型」と明記されていないひとつの理由だとしたら、ますます本項のこけしが忠実な写しであるという可能性は高まるようにも考えられはしないだろうか。
初掲載の折には「寝ぼけ眼か、あるいは少しムスッとしたような不機嫌顔で思春期の娘を思わせる表情である」と書いたが今改めてこの表情を見つめると、力強く、凛々しい。極太の鬢を伴う表情からは並々ならぬ意志の強さを感じさせられる。これはこの時期だけに見せた久雄の強気の表情である。久雄の続けてきた酒田こけしへの取り組みがようやく実を結ぼうとしていたのである。

最後に先日入手した柏倉勝郎作6寸2分と並べてみる。表情、情味とも本家に敵わないものの、あながち遠からず、ではないだろうか。
過去の本間久雄関連記事
「005: 本間久雄 ①」
「010: 本間久雄 ②」
「011: 本間久雄 ③」
「012: 本間久雄 ④」
017: 五十嵐嘉行 ①
2015年6月、酒田への旅に合わせ鶴岡在住、五十嵐嘉行工人の工房を訪ねた。その折に注文したこけしが先日届けられたので、少し時間が経ってしまったが今回はその報告も兼ねて五十嵐嘉行工人についてまとめてみたい。(以下、敬称略)

五十嵐嘉行工人(2015年6月14日撮影)
1. 歩み
津軽系こけし工人・五十嵐嘉行は昭和2年(1927年)6月1日、鶴岡市本町2丁目の石材業・嘉吉の長男として生まれた。昭和26年(1951年)9月、24歳で鶴岡市内の木地師・伊藤佐太郎に師事し木地修行を行い、茶道具等の木地玩具を制作する。

転機となったのは、昭和59年(1984年)。実弟・嘉道と「新鶴岡こけし」を考案。おそらく上の写真がそれ。同こけしを発表すると山形テレビ等に取り上げられたが、山形こけし会から伝統こけしでなくては駄目だと勧告を受けたという。それを受け弟子入りさせてくれるこけし工人を探したが、当時は受け入れてくれる工人はなく苦労したようである。その中で来てみろと声をかけてくれたのが青森県大鰐温泉の間宮正男であった。余談ではあるが、弟子入りできるところがなかなか見つからない工人は身延山(法華経)に願をかけた。受け入れてくれた間宮正男の元へ行ってみると同人宅にも同じ仏壇があったという話である。
『伝統こけし工人手帳』(平成6年第9刷)によると、昭和60年(1985年)11月から間宮正男の指導を受けた。通いで描彩のみを修業した。昭和62年(1987年)9月7日、間宮正男より師弟許可を受け、晴れて津軽系伝統こけしの制作を行うようになった。時に工人60歳。自宅には師弟許可証が大事に飾られている。

現在は鶴岡市日出町の自宅兼工房にて師匠の間宮正男型と間宮明太郎型の他、遺族の許可のもと鶴岡で活動した竹野銀次郎型も制作している。なお本人に確認したところ、上記「新鶴岡こけし」とkokeshi wiki に記載されている「羽黒山等で売られている創作の「山伏こけし」」は現在は製作していないそうである。
2. こけし鑑賞

始めに手にした嘉行工人作は前列のえじこ2寸9分であった。山頂の天文台を思わせるえじこの胴に小振りなおかっぱ頭がちょこんとのっており、全体の均整もとれて可愛らしい。胴模様は赤、緑、紫の轆轤線のみで構成されており、太い紫の波線がアクセントとなっている。大らかな表情はどこか工人の面影を映しているような気がする。
後列の3本は工人宅で直接注文してきたもの。左より、間宮明太郎型4寸、同6寸、本人型5寸1分。工人宅へ伺うとレパートリーをまとめた小冊子を見せてもらえる。そこに載っている写真にはそれぞれ番号が振られており、例えば「A-②-1の左から2本目のこけしを4寸で1本」という具合にほしいこけしを指定して注文するシステムになっている。
左の4寸は『こけし時代』11号に写真掲載されている木村弦三コレクションでも確認できる小寸の型。胴模様は究極的に簡素。胴の上下に鉋溝が2本ずつ入れられ、各溝には赤い轆轤線が引かれる。ヘアバンドをしているような頭髪の様式、一筆目の素朴な表情など稚拙の味濃厚なこけしである。なお『こけし時代』掲載品は下2本の轆轤線が紫色(?)になっている。
真中の6寸は同じく間宮明太郎型であるが、4寸と対照的にこちらは洗練された意匠。全体が黒い轆轤線と灰色の花模様によって統一されておりモノトーンの配色がモダンな佇まいを醸す。詳しくは別項で紹介するが同時に写しを依頼した間宮正男の達磨こけしに通じる部分が多く、そちらと比較する目的も兼ねてこの型を注文した次第である。送られてきたこけしを手に取ると表情可憐でじわじわとした味わいがあり、注文する際に見た写真よりもずっと可愛らしく感じられるのは思わぬ収穫であった。
右の5寸1分は本人型。Instagram における工人の人気は、このこけしと同じ木地形態に同じおかっぱ頭、胴に三つ葉模様をあしらった本人型に端を発しているように思われる。実際自分もこの工人に興味をもったのはその型からであったと自認しているのだが、他人と同じこけしを持っていてもと思い留まり、轆轤線のみによるこのこけしを選んだ。引き締まった表情はなんとも凛々しい。緑と赤の轆轤線によるこの簡素な胴模様は間宮明太郎系列の真骨頂といったところだろうか。木目の面白さも引き立っているように思う。

さて工房にお邪魔した時、売り物となるこけしは一本もなかった。しかしせっかく来てくれたのだからと片隅に置かれていた達磨をひとつ選んで持たせてくれた。それがこの2寸8分の達磨。ずんぐりと重量感がありながらも木地形態は端正であり、胴に書かれた文字もなにやらすこぶる縁起が良い。そしてこの意思固い表情は愛嬌抜群で、達磨の収集をしていない自分も大いに気に入るところで折に触れて眺めている。工人のご好意にここで改めて感謝いたします。
(つづく)

五十嵐嘉行工人(2015年6月14日撮影)
1. 歩み
津軽系こけし工人・五十嵐嘉行は昭和2年(1927年)6月1日、鶴岡市本町2丁目の石材業・嘉吉の長男として生まれた。昭和26年(1951年)9月、24歳で鶴岡市内の木地師・伊藤佐太郎に師事し木地修行を行い、茶道具等の木地玩具を制作する。

転機となったのは、昭和59年(1984年)。実弟・嘉道と「新鶴岡こけし」を考案。おそらく上の写真がそれ。同こけしを発表すると山形テレビ等に取り上げられたが、山形こけし会から伝統こけしでなくては駄目だと勧告を受けたという。それを受け弟子入りさせてくれるこけし工人を探したが、当時は受け入れてくれる工人はなく苦労したようである。その中で来てみろと声をかけてくれたのが青森県大鰐温泉の間宮正男であった。余談ではあるが、弟子入りできるところがなかなか見つからない工人は身延山(法華経)に願をかけた。受け入れてくれた間宮正男の元へ行ってみると同人宅にも同じ仏壇があったという話である。
『伝統こけし工人手帳』(平成6年第9刷)によると、昭和60年(1985年)11月から間宮正男の指導を受けた。通いで描彩のみを修業した。昭和62年(1987年)9月7日、間宮正男より師弟許可を受け、晴れて津軽系伝統こけしの制作を行うようになった。時に工人60歳。自宅には師弟許可証が大事に飾られている。

現在は鶴岡市日出町の自宅兼工房にて師匠の間宮正男型と間宮明太郎型の他、遺族の許可のもと鶴岡で活動した竹野銀次郎型も制作している。なお本人に確認したところ、上記「新鶴岡こけし」とkokeshi wiki に記載されている「羽黒山等で売られている創作の「山伏こけし」」は現在は製作していないそうである。
2. こけし鑑賞

始めに手にした嘉行工人作は前列のえじこ2寸9分であった。山頂の天文台を思わせるえじこの胴に小振りなおかっぱ頭がちょこんとのっており、全体の均整もとれて可愛らしい。胴模様は赤、緑、紫の轆轤線のみで構成されており、太い紫の波線がアクセントとなっている。大らかな表情はどこか工人の面影を映しているような気がする。
後列の3本は工人宅で直接注文してきたもの。左より、間宮明太郎型4寸、同6寸、本人型5寸1分。工人宅へ伺うとレパートリーをまとめた小冊子を見せてもらえる。そこに載っている写真にはそれぞれ番号が振られており、例えば「A-②-1の左から2本目のこけしを4寸で1本」という具合にほしいこけしを指定して注文するシステムになっている。
左の4寸は『こけし時代』11号に写真掲載されている木村弦三コレクションでも確認できる小寸の型。胴模様は究極的に簡素。胴の上下に鉋溝が2本ずつ入れられ、各溝には赤い轆轤線が引かれる。ヘアバンドをしているような頭髪の様式、一筆目の素朴な表情など稚拙の味濃厚なこけしである。なお『こけし時代』掲載品は下2本の轆轤線が紫色(?)になっている。
真中の6寸は同じく間宮明太郎型であるが、4寸と対照的にこちらは洗練された意匠。全体が黒い轆轤線と灰色の花模様によって統一されておりモノトーンの配色がモダンな佇まいを醸す。詳しくは別項で紹介するが同時に写しを依頼した間宮正男の達磨こけしに通じる部分が多く、そちらと比較する目的も兼ねてこの型を注文した次第である。送られてきたこけしを手に取ると表情可憐でじわじわとした味わいがあり、注文する際に見た写真よりもずっと可愛らしく感じられるのは思わぬ収穫であった。
右の5寸1分は本人型。Instagram における工人の人気は、このこけしと同じ木地形態に同じおかっぱ頭、胴に三つ葉模様をあしらった本人型に端を発しているように思われる。実際自分もこの工人に興味をもったのはその型からであったと自認しているのだが、他人と同じこけしを持っていてもと思い留まり、轆轤線のみによるこのこけしを選んだ。引き締まった表情はなんとも凛々しい。緑と赤の轆轤線によるこの簡素な胴模様は間宮明太郎系列の真骨頂といったところだろうか。木目の面白さも引き立っているように思う。

さて工房にお邪魔した時、売り物となるこけしは一本もなかった。しかしせっかく来てくれたのだからと片隅に置かれていた達磨をひとつ選んで持たせてくれた。それがこの2寸8分の達磨。ずんぐりと重量感がありながらも木地形態は端正であり、胴に書かれた文字もなにやらすこぶる縁起が良い。そしてこの意思固い表情は愛嬌抜群で、達磨の収集をしていない自分も大いに気に入るところで折に触れて眺めている。工人のご好意にここで改めて感謝いたします。
(つづく)
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