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029: 本間久雄 ⑦

過去6回に渡って本間久雄のこけしを取り上げてきた。さすがにまたかという向きもあるかとは思われるが、阿房こけし洞の酒田こけしの追求は留まることを知らない。今回は後期作をみてみようと思う。

便宜上、昭和51年(1976年)の酒田大火以降の作を後期とする。Kokeshi Wiki には「昭和50年代初めまで少しづつこけしの製作を継続した」とある。この文章からはこけしの製作は昭和50年までというニュアンスが伺われるが、実際には「S56」(つまり1981年)とメモ書きされた久雄作も少なからず散見されることを鑑みると、昭和50年代半ば、工人72歳頃まではこけしを作っていたということになる。なお本間久雄は昭和59年(1984年)9月5日に亡くなっている。

本間久雄7-1

最初の3本であるがこの4寸、6寸、8寸は同時期の作と推測される。手持ちの後期群の中にあってどこか中期作の名残があるようにも感じられる作風で、中期を髣髴とさせる線の細さではあるが、目眉ともに横に長く伸び、眼点自体も幾分大きくなっている。怒ったような中期作に対して、おっとりとして落ちついた印象を与えるこけしである。中期作との相違点は、①つり上がり気味だった目眉が水平に近づく、②鼻と口の位置が上がる、③面長だった頭部の形状が丸くなる、④染色が濃くなる、といった点が挙げられる。或いは中期と後期を結ぶ一群とも考えれる。

本間久雄7-2

次の6寸2本と8寸は比較的最近入手した後期作。左端6寸は手持ちの久雄作の中にあって最も保存状態の良い逸品。胴底には「52.10.9」のメモ書きがなされている。前述3本と比較すると目眉の線にアクセントが付き凛々しさがある。やや棗型に近い頭部と末広がりの胴の織りなすフォルムも秀逸。久雄作の上作といえるだろう。真ん中の8寸はやはり末広がりでこちらもバランスに優れる。面描の線はよく筆が伸び、力強い。線の太さで言えば初期〜中期にかけての「柏倉勝郎型」に通じるものがあり、本家勝郎作の表情に肉迫する。右端6寸の胴底には「1980.1」というメモ書きがなされている。昭和55年、工人71歳の作ということになるだろうか。このこけしには初期作のような線の太さがあり、上目遣いの訴えかけるような表情をしている。このこけしの目と眉、角度や位置、頭髪毛先の揃い方等の面描が、有名な久松旧蔵の柏倉勝郎作1尺1寸6分に通じるものがあると感じるのは私だけだろうか。ちょっと他では見かけない表情ではある。また、久雄の確立した葉の様式はこの時期の勝郎作に由来しているのかもしれない。

本間久雄7-3

上の8寸と6寸もその表情と雰囲気から同時期のものであると推測される。「005: 本間久雄 ①」で既出の6寸はフォルム、全体の佇まい、面描の雰囲気等、上記1980年作と類似点が多いように思われる。横幅と高さがほぼ同寸の丸顔、裾にかけて広がっていく胴のラインで最下部は頭部よりもわずかに細い程度。柏倉勝郎のような胴の細さではないが、木地のバランスとしては完成された美が宿る。涼しげな眼差しが印象的な表情。その良好な保存状態と相まって手持ちの久雄作の中でも逸品としている一本である。作風の類似した8寸胴底には「56.2.22」のメモ書きがされており、手持ちの中では最も時代の下ったものとなっている。頭部は横長で縦に短いため、その分胴の長さが強調されている。頭部直系50mmに対し胴裾は45mmと太めで、直胴に近いフォルムには重量感さえ漂う。

本間久雄7-4
本間久雄作8寸と柏倉勝郎作6寸

久雄の場合、晩年になるにつれその作風は洗練されていくように思われる。そこには老いて枯れた筆致は認められず、むしろ生き生きとさえしている。後期作には、生涯を通じて酒田こけしと向き合う中で工人が最後に到達した完成形があるように思う。本項で後期作として紹介したものはおそらく全て昭和50年代に入ってから作られたものと考えているが、こうして見てみると実に多様な変化が認められる。常に停滞することなく柏倉勝郎型を追求し続けた工人の足跡が見て取れるはしないだろうか。

過去の本間久雄関連記事
005: 本間久雄 ①
010: 本間久雄 ②
011: 本間久雄 ③
012: 本間久雄 ④
018: 本間久雄 ⑤
020: 本間久雄 ⑥

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028: 佐藤武直

蔵王こけし館にある名和コレクションの中でも特に強烈な印象を受けたのが佐藤三蔵のこけしであったことは繰り返し述べてきた。その三蔵の直系工人が今もなおこけし製作に従事しているということは誠に驚くべきことである。深川東京モダン館で行われる「第2回 七人の職人~秋保工芸の里 in 深川~」に三蔵から数えて四代目にあたる佐藤武直工人がいらっしゃるということで2016年1月30日(土)に会場へお邪魔した。(以下、敬称略)

佐藤武直は昭和50年(1975年)4月16日、秋保の木地業・佐藤円夫の長男として生まれた。佐藤三蔵のひ孫にあたる。平成6年3月に高校卒業後3ヶ月程会社勤めをしたが、父・円夫が腰痛により一時仕事ができなくなったのを契機として木地業に転向。組合の紹介で秋保から車で20~30分の距離にある宮城郡宮城町芋沢の佐藤正廣の元に一年間通い木地の修業をしたということである。

15時頃到着した頃には他に一組しかお客がいなかったが、開場直後は女性を中心とした愛好家が大挙したということである。当日、会場で販売されていた佐藤武直作の種類と値段は以下の通り。

3寸 1,300円
4分 1,400円
6寸 1,700円
9寸 3,000円

4寸以下は一側目で5寸以上からが二側目となる。今回入手したこけしは4寸2種。墨による青坊主と秋保一般型である。

佐藤武直

白黒のこけしは伝統こけしという範疇からは少々外れるものの、描彩簡素な中に水墨画に通じる抑制された面白みを感じた。これは元を正せば菅原庄七が「新型こけし」として売っていた青坊主を応用したものであると思われるが、現在では主に叔父の佐藤武志がこの型を作っているということである。「019: 五十嵐嘉行」の項で登場した間宮正男の墨こけしに通じるところがあり手に取らずにはいられなかった。

秋保一般型の4寸は一側目による面描で表情やや硬質ではあるが描彩よく整った可愛らしさがある。彩色では黄色が積極的に用いられ、頭頂部、胴模様の葉など要所要所に散りばめられている。胴上下の轆轤線は独特の濃度で金属的な光沢を放っている。これは緑の色を塗り重ねることにより得られる色であるとのこと。

他に6寸と9寸の二側目こけしがあったが、眼点大きいその面描は一種特異な表情。瞼、眉ともに曲線の頂点が顔の中心に寄るこの型はおそらく『kokeshi book 伝統こけしのデザイン』に掲載されている師・佐藤円夫の作風を継承しているものと考えられる。どことなく戦後流行した新型こけしの影響も感じられるためか、こちらには食指が動かなかった。魅力ある面描の為に今一度秋保古型の原点に立ち返る必要があるように思うのは一伝統こけし愛好家の単なる独り善がりな考えであろうか。現在、武直は三蔵古型の写し依頼を受け付けていないようであるが、三蔵直系のこけし工人として古い秋保の情味を研究し再現してほしいと願わずにはいられない。

秋保こけしに携わってきた家系のうち、菅原庄七の系譜は息子敏の代で途絶えてしまった。山尾家は「026: 山尾昭」の項で述べた通り、現在製作を中止してしまっており、佐藤家だけがこけしを作り続けているという状況である。こうして考えてみるとこけし界に広く知られる名工の直系工人が現代においてもなお木地業を続けているということはまったく奇跡的なことといっても過言ではないのかもしれない。

佐藤三蔵の古型は50年後100年後の愛好家も魅了する普遍的な美しさを有していると思う。佐藤家にはその三蔵型という誇るべき型があり、その情味を写し継承することはこけし界にとって必要不可欠なことと思われる。伝統こけしの愛好家としては、佐藤三蔵の古型が積極的に継承され未来に残されるようにと願うばかりである。佐藤武直はその型を受け継ぐにふさわしい由緒あるこけし工人であり、希望である。


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