042: 日下秀行

 遠刈田系のこけしの内では佐藤茂吉に強く惹かれます。茂吉のあらましに関しては「021: 大沼昇治」で既に触れています。『いやしの微笑』や『こけし 伝統の美』などに掲載されている茂吉のこけしは、目元までの短いおかっぱ頭に愛想のかけらもない表情ですが、しかし何故か憎めない佇まいで圧倒的な存在感を漂わしているように思えました。『こけし 美と系譜』には手絡模様のこけしも確認できます。一本一本に異なった様式があり大いに興味をそそられました。晩年の枯れた筆致は古いこけしの素朴美をいっそう感じさせる要因となっているように思います。

 茂吉のこけしは第一次こけしブームの昭和14年頃に残された最晩年の作だけが遺されています。今となっては老工の存命中に古い遠刈田の多様性が記録として残されたことに感謝しなくてはならないのですが、しかし息子である円吉、円吉の婿養子である治郎は茂吉型というような写しを特に残しませんでした。その後、治郎の弟子大沼昇治が茂吉型に取り組んだことは前にも載せました。しかしその大沼昇治が亡くなったことで茂吉の系列は途絶えてしまいました。型は作られなくなると話題に上ることがなくなり忘れられていくようで、遠刈田の古式を伝える茂吉のこけしも今や地味なこけしという印象をもたれるまでになってしまいました。

 のですが。

 2015年6月3日より西荻窪イトチで行われた「うつくしこけし展」にて、H氏が日下秀行工人に依頼した茂吉型が展示販売されたのです。予定をなんとかやりくりして初日に駆けつけました。店頭に並べられていた中で最も整っていない面描を選んだ記憶があります。こけしを買うとついてきた『日下秀行工人復元之栞』によると、「残念ながら、現在の遠刈田では、茂吉こけしは忘れられたこけしである。今回、茂吉の直系ではないが、同じ吉郎平系列の日下秀行工人に復元を依頼。まずはリボン黒髪八寸を試作することになった。」「遠刈田の地で、新しい茂吉型の誕生。この小さなルネッサンスを喜びたい。」とあります。茂吉型に限らず、現在遠刈田では多くの型が途絶え漸次多様性が失われつつあるように思われます。そのことはひいてはこけしの魅力を低下させることに繋がるのではないでしょうか。だとすれば、若く意欲のある工人がそれら古い型に取り組み引き継いでいった方が未来につながるように思うのです。

日下秀行工人 茂吉型 1
佐藤茂吉型 初作 8寸 2015年6月3日

 この時入手した茂吉型初作は西田峯吉蒐集品の8寸の様式を土台としながら、面描は鈴木鼓堂旧蔵品の表情を採用しているものと思われます。頭頂に赤と緑で飾りが描かれる特異なおかっぱ頭。西田峯吉は目尻あたりで横鬢が終わりますがこのこけしは口元まで伸びます。目つきは西田手よりもずっと穏やかではありますが、きっと結んだ口元と相まってなんとも気の強そうな表情に見受けられます。胴模様はロクロ線と手描きの衿が混在する重菊模様で、菊と菊との隙間がなく互いに密着しています。大沼昇治亡き後久しく途絶えていた茂吉の系列に再び脚光が当てられたことに深い感動を覚えました。

 その後、日下工人が茂吉型をどうこうしたという話は全く話題になりませんでした。伝え聞くところでは、茂吉型は製作するのをやめて佐藤吉弥型に専念するという話もあり、このこけしは再び廃絶の道を辿るかに思えました。日下工人と直接話をすることができたのは2016年の全国こけし祭りも閉幕した夕刻でした。イトチで入手した茂吉型にいたく感銘をうけた事、茂吉こけしの面白さ、重要性等を熱っぽく話したと思います。聞けば、やはり製作をやめたわけではなく、時間はかかるが頼めば作ってくれるということだったので茂吉型に注目している身としては一安心をした次第。

 2016年11月12日の高岩寺の実演で日下工人は再び茂吉型を出品されました。今回は前回程時間をかける事ができなかったとのことですが、面描はより先鋭的なものとなって見る者に迫ってくるように思えました。今回は完全な鼓堂旧蔵品の写しで胴裏には菖蒲模様が描かれています。この表情はどうでしょう。美人でありながら心に沁み入るような味わいに溢れ、いつまでも見飽きない深みがあるように思います。2本を並べると作風は一層深化したように思え、私はこの写しに限りない愛着を感じているのです。

日下秀行工人 茂吉型 2-1
佐藤茂吉型 第2作 8寸 2016年11月12日

日下秀行工人 茂吉型 2-2
胴裏の菖蒲模様 「昭和作」はさすがにやり過ぎの感なきにしもあらず

 高岩寺の出品を見て某氏は「衰えた頃の筆をそのまま写すのはいかがなものか。工人の筆の冴えていた頃を想像した方が良いのではないか」という趣旨の発言をしておられました。私の印象とは異なる見解でしたが、なるほど一理あるとも思いました。筆力のある全盛期の茂吉の面相を想像してこけしを作るのはなんと創造的な仕事だろうかと。

 一方で、茂吉こけしのどこに魅力を感じるかというと、①古い遠刈田の様式の数々を今に伝える点、②鋭く厳しい目つき、③枯れた筆致による古びた味わい、にあると捉えています。筆の揺れは茂吉こけしの古格を助長する大きな要因となっており、茂吉という工人のこけしは老工の晩年作として強く認識されているように思われます。この筆を伸びのあるものにしてしまうことは、茂吉の魅力を半減させることになるのではないか、とも思うのです。

 写しのやり方は工人それぞれのようです。大沼昇治の茂吉型は目つきの鋭さをさらに強調したもので古遠刈田の様式を昇治なりに消化した大沼昇治のこけしというべきものであったと思います。一方、佐藤春二に端を発する弥治郎系の茂吉型は茂吉の一様式を弥治郎系に採用したもので、井上一族の華麗な作風の中で独自の型として発展してきたように見受けられます。花巻の佐藤長雄も茂吉型を手掛けたといいますが、サンプルが少ないのでなんとも言えません。日下秀行工人は「原」を忠実に写そうとする工人です。これは工人としての強みであり、優れた資質でもあります。老工の筆の揺れまで写し取らんとするその姿勢は大いに買うべきものではないでしょうか。同じく「原」に忠実な写しを心掛けるとおっしゃる高橋正吾工人のこけしをみれば忠実に写そうとする方が大成するのではないかという仮説も成り立つような気がしてくるのです。

 それはともかく、この催事にあたり日下工人は茂吉型を8本持ってきたとのことでしたが、その全てに買い手がついたということは何を意味するのでしょうか。たとえそれが作為的なものであったとしても、愛好家が他のこけしにはない素朴な味わいを感じ取り茂吉型のこけしを買っていかれたのだとしたら、一概に批評ばかりもしていられないように思うのです。これは今晃工人の人気にも通じるある種の問題を孕んでいるように私には思えます。つまり、現代の美麗なこけしに対するアンチテーゼなのではなかろうかと考えられます。少なくともそういった古い時代の拙い面描に興味を持つ愛好家が私以外にも少なからずいるというのもまた否定のできない事実です。

 兎も角、重要なのはこの筆致を写して工人が何を感じるか、そしてそれがどうその後に活かされるかであるように思います。そういう意味でも、日下工人の茂吉型からは今後も目が離せません。

追記
日下工人は2017年5月の第59回全日本こけしコンクールに招待工人として参加され、「茂吉型8号」が「東日本放送」賞を受賞されたとのこと。受賞作の写真が青葉こけし会のブログ(「第59回全日本こけしコンクール:ホワイトキューブ」)で確認できます。画像が少し不明瞭ですが表情は佐藤吉弥に接近した印象を受けます。


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