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044: 本間久雄 ⑧

 『こけし手帖』666号、667号に拙稿「本間久雄・義勝の酒田こけし」を掲載させて頂いて以来、本ブログでは同こけしを取り上げてきませんでした。しかしそれ以降も酒田こけしが収集の核であることに変わりはなく、飽きることなく収集を進めてきましたので新しく入手したこけしを掲載していこうと思います。

 東京こけし友の会2016年11月例会の抽選こけしに本間久雄初期作が出品されました。初期特有の重菊の様式、緑黄赤3色によるロクロ線、胴背面への署名、頭髪に接する鬢等、初期の典型的作例と言うべきもので、しかも保存状態は良好。直近一年半の間に同手のこけしが抽選に出されたのは3~4回あったと記憶していますが、一度たりとも入手することはできていませんでした。今回もくじ運に見放され万事休すかに思われましたが、先に名前を呼ばれたH会長が順番をお譲り下さり晴れて入手することができた次第。有り難や有り難や。

 久雄初期作はそれより前に1本だけ所有していて『こけし手帖』666号に掲載しました。写真①の6寸がそれです。本ブログでは「010: 本間久雄 ②」に載せています。『山形のこけし』の7寸と同手ですが、後日名古屋のY先生にお送りいただいた『木でこ』122号の記事によると、この『山形のこけし』掲載品はもともと名古屋こけし会で昭和48年9月に頒布されたものであるとのこと。

 今回入手したこけしの胴底には「48・7月」とのメモ書きがされているので名古屋の頒布より更に2ヶ月前の作ということになるでしょうか。『木でこ』には昭和48年7月に名古屋の蒐集家T氏が酒田の本間久雄のもとを訪れた記事が掲載されています。あいにく久雄は不在であり「つくったこけしは全部出てしまい在庫はありませんでした」と書かれているのですが、ちょうどその時期のこけしが保存状態も良いままこうして手元にあるというのは感慨もひとしおです。

本間久雄 8


 T氏の酒田訪問は秋田県湯沢市で「久雄が柏倉勝郎型を挽き出したという事」を耳にしたことがきっかけだったということですから、昭和48年7月作は初期作の中でも特に早い時期のものであると推測されます。ちなみに、T氏のこの訪問がきっかけとなって、昭和48年9月、11月、昭和49年1月と3回に渡る名古屋こけし会の頒布に至ったということです。

『山形のこけし』7寸、手帖に掲載した拙蔵6寸、今回入手した7寸を見比べると面描が安定しておらず表情に幅があることが分かります。『木でこ』では『山形のこけし』掲載品を「うっとりと、とりとめのないようなところのある、穏やかなこけしである」と評しています。拙蔵6寸は儚げでたどたどしい。一方、今回のこけしは、初めて入手した久雄作(木でこ③の昭和49年1月作、手帖④と同手)のような目眉が吊り上がったムスッとした表情になっています。初期作ということで描き慣れていないため面描に変化があるというのは当然と言えば当然ですが、そのことが収集の面白さに繋がっているように思います。

 木地形態に関しては、この手は肩低く、裾にかけての広がりが小さいフォルムで概してバランスは良いように思います。しかしこの後さほど時をおかずに面描低調となり、木地も肩がすぼんでバランスを崩すことになります(「011: 本間久雄 ③」参照)。久雄初期作のうち、ロクロ線に黄色が入っていた頃の作は他の時期にはちょっと見られない格別の味わいがあるように思われるのです。


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043: 高橋金三①

 南部系中の大名物であるにも関わらず昨今のブームではほとんど見向きもされていないのが藤井梅吉のこけしではないでしょうか。現役でこの型を手掛ける工人がなく『伝統こけしのデザイン』でも取り上げられていないこともひとつの要因となっているように思われます。

 私が梅吉型を知ったのはヤフオクの出品の中に「南部系 金三」と書かれたタイトルを見つけた時だったと思います。当時既に『こけし 美と系譜』を読み耽っていたと記憶していますが、同書掲載の藤井梅吉には気付きもしていなかったことを思うとどうもヤフオクでその存在を知ったとしか考えられないのです。あれも欲しいこれも欲しいという収集初期における衝動の為せる業だったと言えます。

『伝統こけしガイド』で高橋金三の項を調べてみると、大正12年(1923年)8月10日に木地業・高橋悟郎の長男として生まれ「木地は父悟郎より習得。昭和27年頃から悟郎木地のものに描彩(新型)。昭和33年、佐藤誠が花巻に来てから誠のすすめで旧型を練習し、昭和47年2月から、藤井梅吉型を本格的に作りはじめた。」とあります。それではと『こけし辞典』で父・悟郎の項をひくと「<ガイド>改定版で古くからこけしを作っているように紹介しているが、実際は戦後の輸出用こけしが最初で、作品の様式などから見ても、伝統こけし工人とは認めがたい」と記されており、金三の代になって伝統型に取り組みはじめたことが伺えます。『こけし辞典』における金三の記述に至ってはわずか5行にとどまり、昭和46年の初版発行時点では伝統こけし工人とは認識されていなかったようです。

 昭和47年1月25日発行の『こけし手帖』131号に「こけし界ニュース」として金三の梅吉型継承の経緯が報告されています。

★鉛こけし藤井梅吉型の後継者決る。故佐藤誠が生前中梅吉の遺族の許しを得て梅吉型を作っていたが、誠さんの死亡後岩手県内の新型こけしブローカーが、いち早くこれに目をつけ、版権獲得の暗躍をしたが、岩手県南部系(花巻系)の工人たちから猛反対を受け失敗した事実がある。
 今回花巻市の老工人高橋吾郎氏の長男金三さんが、梅吉さんの遺族から正式の許しを得て、梅吉型こけしを作ることになった。
 なお、この件に関し花巻こけし界の長老煤孫実太郎を始め先輩が指導後援する由。


 今日、金三のこけしの評価が低いのはどうも第2次こけしブームの最中に伝統型に取り組みはじめた新参者であったことに起因しているように思えます。しかしながら、金三の取り組んだ梅吉型は先に述べた通り南部系こけしの中でも外すことのできない重要なこけしであり、金三による継承は伝統的観点からすると非常に意義のあるものであったことは間違いないように思います。

 といいつつ、2014年の6月に初めて入手した金三の梅吉型はもう手元に残っていません。手絡模様の頭部とロクロ線のない重菊模様の8寸のこけしで、面描からしておそらく昭和60年代の作と推測されるものでした。当時撮影した写真を改めて見返してみてもやはり木地のバランスも表情も今ひとつ物足りないものに感じられ手放した理由もさもありなん。それでもその後も梅吉型に見切りを付けずに常に注目してきたことを考えると、自分にとってはやはり気になる存在であり続けてきたことは確かなようです。

『こけし千夜一夜物語』第902903話で金三の梅吉型が取り上げられています。それによると本家・藤井梅吉の頭部の描彩様式は4種類程に分けられるとされ、金三の梅吉型への取り組みは以下の順でなされたと解説されています。

①蛇の目に前髪と手絡
②蛇の目のみ
③蛇の目に手絡
④手絡のみ

 昭和47年の梅吉型作り始めにあたり金三はまず「蛇の目に前髪と手絡」から取りかかったとあります。『千夜一夜』に写真掲載されている初作近辺作を見る限り、表情は佐藤誠の影響化にあるように見受けられます。その後2~3年をかけて表情が遠刈田風のものに変化すると同時にその作風も安定していく様子が見て取れます。

高橋金三 1
左よりキナキナ5寸8分、梅吉型8寸、6寸。集まる時は一気に集まる不思議。

 2016年2月、金三こけしが3本集まりました。キナキナ5寸8分、そして「蛇の目に前髪と手絡」の梅吉型8寸と同6寸です。キナキナは今は店舗なき西荻窪のベビヰドヲルの棚の中から持ち帰ったもので、胴にボリューム感があり曲線の美しさを感じています。ヤフオクより入手した8寸は最下部の四つ花のない「蒐楽会頒布品」と同手のもので『千夜一夜』では「一皮むけたような秀作」と評価されているこけしです。友の会の中古品の6寸はやや頭でっかちで目の湾曲著しいためか表情がキツくグロテスクですらあります。個人的にはどちらの梅吉型もフォルムが鈍重で野暮ったく感じるのですが梅吉型収集の仕切り直しとして手元に置いています。

 本当の意味で金三の作る梅吉型に魅了されたのは楽語舎で入手した6寸からです。(続く)


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