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011: 本間久雄 ③

ひとつのこけしを手にしたことが契機となりそれに関連するこけしが漸次集まってくる。蒐集という行為にはそのような傾向があるようだが、それはその型/その工人に興味関心が向いている結果に他ならない。阿房こけし洞における最大の関心は言うまでもなく酒田こけしである。先日入手した本間久雄作もまた見所の多い一本であった。

本間久雄3-1

こちらがそのこけしで大きさは6寸7分。表情少し元気なく木地形態も丈の割に胴太のようにも思われたが、背面の署名だけは見過ごすわけにはいかなかった。つまり「本間儀三郎型」と書かれていたのである。一般的に本間久雄の義父であるこの本間儀三郎という人物は木地挽きのみを行った木地師で筆はとらなかったとされており、それを踏まえると一層この「本間儀三郎型」という署名に興味を掻き立てられたのである。

本間久雄3-2

前項の初期作(以下、「山形手」)と比べると、胴模様に大幅な変化が認められる。未だ筆に迷いが生じている節はあるものの、後年の酒田こけしの典型として定着することとなる様式でもって重ね菊があしらわれているのは興味深い。肩と黄胴の間の轆轤線は黄色の線がなくなり赤と緑の2色となった。面描には筆の太さと稚拙さが見受けられ鬢も頭髪とくっついているのは「山形手」と同様。鬢飾りは各鬢の中心付近を起点として花弁4枚の花びらのようにぼってりと丸っこく描かれている。

本間久雄3-3

さらに実物を手にしてわかったのはこのこけしも胴底が柏倉勝郎風にくり抜かれていることであった。手持ちの本間久雄作では「山形手」のみが同様の手法をとっていることから、この胴底の形状を決め手としてこのこけしを初期の作品と判断した。

胴底の形状はしかし製作年の推測には役立つが、本来錐で大きく穴をあけたとされる儀三郎の手法としては当てはまっていない。ここにひとつの矛盾が生じているのである。ここで考えられるのは

A. 単純な本間久雄の認識違い
B. 本間儀三郎名義の原となるこけしが存在した
C. 酒田こけしを製作するにあたり、久雄の中では柏倉勝郎の型というより義父の関わったこけしを復活させるという想いが強かった

のいずれかではないだろうか。いまのところそれを検証する手立てはないが、このこけしに義父へのトリビュート的な意味合いが込められていたであろうことは疑いようがない。

ずんぐりとした木地形態や轆轤線、重ね菊等の特徴は昭和49年1月に発行された『こけし手帖155号』に掲載されている6寸に相通じる。以上のことを踏まえるとこのこけしは昭和48年頃に製作された初期作という結論になる。鑑賞対象としてはいささか物足りない作風ではあるが、酒田こけしの変遷をみていく上では大変示唆に富む一本である。

過去の本間久雄関連記事
005: 本間久雄 ①
010: 本間久雄 ②

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