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012: 本間久雄 ④

美しい酒田こけしである。

オークションで出品されていた時の画像では細部まで気が回らず、面描の細い筆使いから漠然と昭和49年頃の作であろうと推測している程度であった。しかしどうであろう。手元に届いたこけしは予想に反し、それまで見たこともない特徴を多分に孕んでいたのである。

本間久雄4-1

これがそのこけし。本間久雄作、大きさは6寸2分。この表情、酒田こけしに注目する者であればすぐ分かるが、深澤要の名著『こけしの微笑』に挿絵として掲載されている柏倉勝郎作を模している。「その愛らしい丸顔、首から肩ヘかけてのなだらかな線、質朴な菊模様は、全体の形態との調和もとれていて心憎いほどのおぼこ振りである。」というかの名文を与えられた最も知られている勝郎作である。「深澤勝郎写し」と名付けても問題はないだろう。このこけしにおいて、「深澤勝郎」の特徴は①富士額気味の頭髪、②頭髪にくっつく鬢、③V字形の口元、あたりに大きく出ている。特にV字形の口は他の本間久雄作では類を見ない。面描の筆はやや細いが表情も明らかに原を意識したであろうもので、明るく前向きな笑みとなっていることに好感を持てる。

原との相違点としてまず挙げられるのは重ね菊の数で、原の4つに対してこちらは3つと数が少ない。また、久雄のトレードマークともいうべき菊花の下に加えられる小さな2つの赤点も加えられていることも見逃せない。つまり、胴模様に関しては以降のそれと全く同手のものであり、この時点で久雄の手がける酒田こけしの様式として確立していたということがうかがえるわけである。

というわけで必ずしも原に忠実な写しというわけではないが、しかし本間久雄がある段階で酒田こけしの祖形であるところの柏倉勝郎のこけしを学んだことの証左となることは疑いようがない。

問題はこのこけしが工人の製作年代のどの時点で製作されたかということである。前述の通り、主に面描における線の細さから昭和49年頃のもの、つまり『山形のこけし』掲載の昭和49年作のこけしと同時期のものではないかとある程度の予想はついたのであるが、その直前なのか、それより後のものなのかによって以降の作風にどう影響を与えたかの意味合いが微妙に変わってくるのではないかと思われる。

本間久雄4-3

年代判定の拠り所としたのは胴底の通し鉋の脇に残る小さな2つの爪跡。この爪跡を有するのは手持ちの酒田こけしの中では「005: 本間久雄 ①」で紹介した「柏倉勝郎型」の銘を持つ昭和49年作のみである。それ以降の胴底の通し鉋からはこの小さな爪跡は消える。このことから「深澤勝郎写し」は「勝郎型」と同時期に製作されたものと推測され、そして「初期は署名が胴背面、中期以降は胴底に移る」という流れに則ると胴背面に署名がなされている「勝郎型」の後で胴底に署名された本項の「深澤勝郎写し」が作られたという結論になる。

本間久雄4-2

以上をまとめると、本項のこけしは昭和49年作で「勝郎型」と『山形のこけし』掲載の面描線の細いこけしをつなぐ時期に深澤要旧蔵の柏倉勝郎作を原に製作された写しで、この頃既に胴模様は確立し面描の細さは以降の昭和49年作にも引き継がれたということになる。

「本間儀三郎型」といういささか的を得ないこけし(別項参照)を作った後、本間久雄が集中して柏倉勝郎型に着手をしているのは非常に興味深い。その際に誰かしら/何かしら外部からの助言があったのかは分からない。或いは工人自らの意思による復元であったのかもしれない。いずれにしても、通し鉋の脇に残る爪跡をもったこのこけしたちは、暗中模索を続けてきた本間久雄の酒田こけしの取り組みの中でも大きな突破口となったことだけは確かであろう。

過去の本間久雄関連記事
005: 本間久雄 ①
010: 本間久雄 ②
011: 本間久雄 ③
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