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002: 平賀謙次郎

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弥治郎系・新山左京工人の9寸(001参照)を入手すると、にわかに伝統こけしへの興味が高まってきた。現代では何か調べ物をする場合まずGoogle検索ということになるわけであるが、伝統こけしを調べようとする者の例に漏れず「こけし千夜一夜物語」さんという有名なこけしブログに辿り着く。初期衝動とともに同ブログの膨大な記事を読み漁っていく中で、伝統こけしの入手方法のひとつとしてヤフオクがなかなかのウェイトを占めていることがわかってきた。試しに覗いてみると、あるわあるわ。その中で注目したのが200〜300本以上の伝統こけしを500円で出している出品者だった。(残念ながら現在は出品されていないようである。)慎重に検討を重ねつつ3本のこけしに目星をつけたが、そのうちの一本がこの作並系・平賀謙次郎工人の1尺であった。

今回こけしを選ぶ上で頭にあったのは以下の5点。①ひとまず全ての系統のこけしを一体ずつ集めること、②大きさは1尺(約30cm)で揃えること、③状態の良いこけしであること、④なるべく作られた年代が判ること、そして⑤自分の美意識に従うこと。本項のこけしはその条件を満たした上で数百本の出品の中から真っ先に入札が決定した一本だった。

改めてこのこけしを見直してみる。退色しやすい緑色もはっきり残っており、なおかつ古色もついておらず状態は良好である。既出した新山左京9寸と比較すると胴の長さと太さはさほど変わらないが頭が一回り大きく、それ故に全体としては細胴のフォルムとなっている。

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頭頂は墨で描かれた太い一本線の周りを囲むように赤い手絡が配置される。ちょうどフレッドペリーのブランドロゴである月桂樹を彷彿とさせる意匠である。

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頭部の接写。現代のアニメ・漫画で育った世代に希求する漫画顏の美少女の面持ちであるが、『こけし 美と系譜』を確認すると、このこけしの表情はp.86に掲載されている本人の「39年(1964年)の復旧作」の表情に近いことがわかる。

胴模様は、上下両端を赤と緑の細かい轆轤線で縁取り、中央部分に花模様を配している。入手した当初、花模様であることは分かっても何を描いているのかいまいち判然としなかったが、他の平賀一族によるこけしの胴模様をみると、その配色ならびに配置からこれが同一族に特徴的な「カニのような菊花」模様が抽象化されたものであると気づく。しかし『こけし 美と系譜』に掲載されている本人による2本のこけしの胴模様はこのこけしよりも菊花の原型をとどめているように思われ、こうして調べてみると同一工人の年代による菊花模様の変遷というのも興味深いものを感じる。

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胴底にはおそらく「作並 平賀謙次郎 五ニ才」と記されていると思われるが、なかなか達筆で特に52歳と記された箇所は自信がちょっとない。仮にその年齢で作られたものだすると1970年頃のこけしであると推測され、前述『こけし 美と系譜』の表情に似ているのも合点がいく。

今ある手元の資料で平賀謙次郎工人について確認すると、大正17年(1918年)11月17日生まれ、木地業・平賀謙蔵次男とあり、「昭和5年より父謙蔵について木地を修行13年に独立した。昭和14年〜16年の出征中を除いて父とともに木地を挽き続け、盆、茶櫃、茶筒などのほか、こけし、独楽などの温泉土産の玩具を作った。こけしは父謙蔵の伝承で、独特の菊模様を描く。最近は胴が太くなっているが、時々作る古型が昔の味を残している。」とのこと。(土橋慶三監修(1973)『伝統こけしガイド』美術出版社 p.128)

『こけし系図 第四版』で確認すると、父は平賀謙蔵(1887-1949)、叔父に貞蔵(1897-1986)、兄は多蔵(1912-1943)で、甥に忠(1937-2000)。子どもに謙一(1943-2007)、孫に輝幸(1972-)、という系図になっている。本人は残念ながら2012年に亡くなっているが96歳の大往生であったといえるだろう。

新山左京工人の9寸が自分の伝統こけしの出発地点であったとすると、本項のこけしは出発点と繋がり、今後の方向性を決める選択であったと思われる。つまり、今後のこけし蒐集にたいする一種の指針となった。即ち、ヤフオクでの蒐集、1尺狙い、系統揃えといったことを中心に次のこけしを蒐集していくことになっていくのだった。
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