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026: 山尾昭

先日ヤフオクで遠刈田系の8寸良作が大量に出品された。いくつか収集対象としている型がありその中でも特に心惹かれた一本を落札することが出来た。山尾昭工人による古い秋保こけしの写しである。大きさは8寸ちょうど。極端に大きい頭部、濃い染料による重厚な色彩、はりのある表情、古風で雅な佇まいの堂々たる逸品であることは出品画像からでもはっきりと伝わってきた。手元に届いたこけしを手に取り、眺める時のこの満足感は表現しがたい。ずっしりと重い量感、特異なフォルムにも関わらず、醸し出される気品。

山尾昭1

出品者の商品説明によると平成13年(2001年)2月の作で「天江コレクションの菅原庄七古作を元に作られました」とのこと。胴の裏に「第85回伊勢こけし会定期頒布」のシールが貼られており、胴底には鉛筆で「13-2」のメモ書きがある。このこけしの出品画像を見て真っ先に思い浮かんだのは武井武雄『愛蔵こけし図譜』に掲載されている1尺7寸5分だった。鹿間時夫の『こけし鑑賞』の菅原庄七の項によると「『愛蔵図譜』の尺7寸5分(53.0cm)は一大傑作であって、甘美派の五指に入るものであろうが、惜しくも焼けた。昭和2年頃のものかとされる。(中略)武井庄七は天江氏より行ったもの。『這子の話』の庄七大寸物もほぼ匹敵するが眼点中央によらず幾分散漫の気味がある」とある。『こけし這子の話』が手元にないため文中の「庄七大寸物」は未確認であるが落手したこけしを『愛蔵こけし図譜』の庄七こけしと見比べると木地形態、描彩とも意匠がまったく同じであり、昭和初期の秋保こけしの忠実な写しであることが分かる。「原」となるこけしの魅力もさることながら、そのエッセンスを引き出し8寸大に表現した工人の技量も特筆すべきだろう。

山尾昭2

天江庄七写しを入手後それほど間を空けずに別の出品者からまたしても山尾昭のこけしが出された。大きさは8寸2分。小振りな頭部と長めの胴ですらっとした木地形態。胴裾の水流れと頭部の節があるものの全体としての保存状態は良好である。目の周りに薄く紅が入れられ古流な秋保の様式が再現されており、胴の裏にはやはり「第83回伊勢こけし会定期頒布」のシールが貼られている。伊勢こけし会、おそるべし。寡聞にしてこのこけしが何を「原」としているかは判明させることができていないが、おそらく菅原庄七か山尾武治の古作であろうと思われる。署名に敢えて「二代目」と記していることを考えると武治の写しであるとも考えられなくもない。いずれにせよ古式ゆかしい佇まいではある。

山尾昭に関する文献は多くない。『こけし手帖』の目録で関連する記述を探したが見つけることはできなかった。『こけし辞典』の記述もごく短い。山尾昭は昭和2年(1927年)3月30日に山尾武治の長男として生まれた。『伝統こけし最新工人録』によると「昭和25年(1950年)頃に木地修業をはじめ、こけしを製作している」とあり、顔写真とともに本人作のこけしが2本掲載されている。左のこけしをよく見ると『愛蔵こけし図譜』22版に載っている「作者未詳」の復元作であることが分かる。優れた古作復元者である山尾昭にはまったく最大限の敬意を表さなくてはならない。それにしてもこのように大変価値があり且つ質の高い写しを手がけているにも関わらず、過去この工人が話題に上がることがなかったように見受けられるのは何故であろう。不思議に思う。工人は2016年1月16日現在で88歳。「こけし千夜一夜物語」第739夜(2012年7月)には「山尾家は現在こけしを作っていないとの返事があり」という記述が見られる。息子・山尾広昭とともに休業してしまったことが伺え残念な限りである。

山尾昭というと『こけし時代』作並秋保特集号でみられるような父・山尾武治晩年の甘いこけしを継承している工人という印象が強く、恥ずかしながら今回の落札に至るまで秋保古型の写しを手がけているということを知らなかった。それ故にこれらの写しには目を見張るものであったわけであるが、今回の秋保こけしに限らず誰がどういう写しを手がけているかという情報はまだまだ足りない。えてして『こけし辞典』が刊行された昭和46年以降、第2次こけしブームの頃に活動した工人に関する記録は、一部の人気工人を除き少ないといわざるを得ない。過去数十年、愛好家はこけしの収集には限りのない情熱を傾けこそすれ、こけし工人とそのこけしに関する記録を残すことにかけてはいささか無関心であったのかもしれない。現在つき合いのある工人について記録を残しておくことは全ての愛好家のなすべきことであると思う。天江富弥、武井武雄、深澤要、橘文策、鹿間時夫、西田峯吉といった先人達がこけしに関する聞き取りや研究の成果を書き残してくれた事が現在のこけし界の礎となっている。何もこけしの根源に関わる目新しい情報や新発見だけが記録として残す価値のある内容ではない。ひとりひとりの工人の足跡とそのこけしの変遷もまた、今後のこけし界の発展へと繋がるかけがえのない資料となるはずである。当ブログの意義もそこにあるのではないかと思う。しかし一愛好家のカバーできる範囲など限られている。願わくば、ひとりひとりの愛好家が知り得た事をそれぞれがまとめていければこけしを取り巻く環境はより充実したものとなるのではないだろうか。

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