028: 佐藤武直
蔵王こけし館にある名和コレクションの中でも特に強烈な印象を受けたのが佐藤三蔵のこけしであったことは繰り返し述べてきた。その三蔵の直系工人が今もなおこけし製作に従事しているということは誠に驚くべきことである。深川東京モダン館で行われる「第2回 七人の職人~秋保工芸の里 in 深川~」に三蔵から数えて四代目にあたる佐藤武直工人がいらっしゃるということで2016年1月30日(土)に会場へお邪魔した。(以下、敬称略)
佐藤武直は昭和50年(1975年)4月16日、秋保の木地業・佐藤円夫の長男として生まれた。佐藤三蔵のひ孫にあたる。平成6年3月に高校卒業後3ヶ月程会社勤めをしたが、父・円夫が腰痛により一時仕事ができなくなったのを契機として木地業に転向。組合の紹介で秋保から車で20~30分の距離にある宮城郡宮城町芋沢の佐藤正廣の元に一年間通い木地の修業をしたということである。
15時頃到着した頃には他に一組しかお客がいなかったが、開場直後は女性を中心とした愛好家が大挙したということである。当日、会場で販売されていた佐藤武直作の種類と値段は以下の通り。
3寸 1,300円
4分 1,400円
6寸 1,700円
9寸 3,000円
4寸以下は一側目で5寸以上からが二側目となる。今回入手したこけしは4寸2種。墨による青坊主と秋保一般型である。

白黒のこけしは伝統こけしという範疇からは少々外れるものの、描彩簡素な中に水墨画に通じる抑制された面白みを感じた。これは元を正せば菅原庄七が「新型こけし」として売っていた青坊主を応用したものであると思われるが、現在では主に叔父の佐藤武志がこの型を作っているということである。「019: 五十嵐嘉行」の項で登場した間宮正男の墨こけしに通じるところがあり手に取らずにはいられなかった。
秋保一般型の4寸は一側目による面描で表情やや硬質ではあるが描彩よく整った可愛らしさがある。彩色では黄色が積極的に用いられ、頭頂部、胴模様の葉など要所要所に散りばめられている。胴上下の轆轤線は独特の濃度で金属的な光沢を放っている。これは緑の色を塗り重ねることにより得られる色であるとのこと。
他に6寸と9寸の二側目こけしがあったが、眼点大きいその面描は一種特異な表情。瞼、眉ともに曲線の頂点が顔の中心に寄るこの型はおそらく『kokeshi book 伝統こけしのデザイン』に掲載されている師・佐藤円夫の作風を継承しているものと考えられる。どことなく戦後流行した新型こけしの影響も感じられるためか、こちらには食指が動かなかった。魅力ある面描の為に今一度秋保古型の原点に立ち返る必要があるように思うのは一伝統こけし愛好家の単なる独り善がりな考えであろうか。現在、武直は三蔵古型の写し依頼を受け付けていないようであるが、三蔵直系のこけし工人として古い秋保の情味を研究し再現してほしいと願わずにはいられない。
秋保こけしに携わってきた家系のうち、菅原庄七の系譜は息子敏の代で途絶えてしまった。山尾家は「026: 山尾昭」の項で述べた通り、現在製作を中止してしまっており、佐藤家だけがこけしを作り続けているという状況である。こうして考えてみるとこけし界に広く知られる名工の直系工人が現代においてもなお木地業を続けているということはまったく奇跡的なことといっても過言ではないのかもしれない。
佐藤三蔵の古型は50年後100年後の愛好家も魅了する普遍的な美しさを有していると思う。佐藤家にはその三蔵型という誇るべき型があり、その情味を写し継承することはこけし界にとって必要不可欠なことと思われる。伝統こけしの愛好家としては、佐藤三蔵の古型が積極的に継承され未来に残されるようにと願うばかりである。佐藤武直はその型を受け継ぐにふさわしい由緒あるこけし工人であり、希望である。
佐藤武直は昭和50年(1975年)4月16日、秋保の木地業・佐藤円夫の長男として生まれた。佐藤三蔵のひ孫にあたる。平成6年3月に高校卒業後3ヶ月程会社勤めをしたが、父・円夫が腰痛により一時仕事ができなくなったのを契機として木地業に転向。組合の紹介で秋保から車で20~30分の距離にある宮城郡宮城町芋沢の佐藤正廣の元に一年間通い木地の修業をしたということである。
15時頃到着した頃には他に一組しかお客がいなかったが、開場直後は女性を中心とした愛好家が大挙したということである。当日、会場で販売されていた佐藤武直作の種類と値段は以下の通り。
3寸 1,300円
4分 1,400円
6寸 1,700円
9寸 3,000円
4寸以下は一側目で5寸以上からが二側目となる。今回入手したこけしは4寸2種。墨による青坊主と秋保一般型である。

白黒のこけしは伝統こけしという範疇からは少々外れるものの、描彩簡素な中に水墨画に通じる抑制された面白みを感じた。これは元を正せば菅原庄七が「新型こけし」として売っていた青坊主を応用したものであると思われるが、現在では主に叔父の佐藤武志がこの型を作っているということである。「019: 五十嵐嘉行」の項で登場した間宮正男の墨こけしに通じるところがあり手に取らずにはいられなかった。
秋保一般型の4寸は一側目による面描で表情やや硬質ではあるが描彩よく整った可愛らしさがある。彩色では黄色が積極的に用いられ、頭頂部、胴模様の葉など要所要所に散りばめられている。胴上下の轆轤線は独特の濃度で金属的な光沢を放っている。これは緑の色を塗り重ねることにより得られる色であるとのこと。
他に6寸と9寸の二側目こけしがあったが、眼点大きいその面描は一種特異な表情。瞼、眉ともに曲線の頂点が顔の中心に寄るこの型はおそらく『kokeshi book 伝統こけしのデザイン』に掲載されている師・佐藤円夫の作風を継承しているものと考えられる。どことなく戦後流行した新型こけしの影響も感じられるためか、こちらには食指が動かなかった。魅力ある面描の為に今一度秋保古型の原点に立ち返る必要があるように思うのは一伝統こけし愛好家の単なる独り善がりな考えであろうか。現在、武直は三蔵古型の写し依頼を受け付けていないようであるが、三蔵直系のこけし工人として古い秋保の情味を研究し再現してほしいと願わずにはいられない。
秋保こけしに携わってきた家系のうち、菅原庄七の系譜は息子敏の代で途絶えてしまった。山尾家は「026: 山尾昭」の項で述べた通り、現在製作を中止してしまっており、佐藤家だけがこけしを作り続けているという状況である。こうして考えてみるとこけし界に広く知られる名工の直系工人が現代においてもなお木地業を続けているということはまったく奇跡的なことといっても過言ではないのかもしれない。
佐藤三蔵の古型は50年後100年後の愛好家も魅了する普遍的な美しさを有していると思う。佐藤家にはその三蔵型という誇るべき型があり、その情味を写し継承することはこけし界にとって必要不可欠なことと思われる。伝統こけしの愛好家としては、佐藤三蔵の古型が積極的に継承され未来に残されるようにと願うばかりである。佐藤武直はその型を受け継ぐにふさわしい由緒あるこけし工人であり、希望である。
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