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032: 山尾広昭

山尾昭の天江庄七写しの落手と時を同じくして、息子・山尾広昭の三蔵写し8寸を手に入れた。出品者の説明によるとこのこけしは平成14年(2002年)1月の作で、植木昭夫氏所蔵の三蔵写しであるという。『愛こけし』『木偶相聞』で確認できる氏所蔵の三蔵こけしは2本で、どうも1尺5寸の縮写であると思われる。胴背面には「名古屋こけし会第111回定期頒布」のシールが貼られている。

山尾広昭1-1

面白いと思うのは頭部の様式で、顔を取り囲むようにして頭部側面から背面まで黒々とした横髪が描かれている。頭頂には長い線状の一本線が引かれており、頭部全体を俯瞰するとチョンマゲのようにも見える。1尺5寸を確認するとやはり顔の側面にその横髪の端らしきものが見える。

山尾広昭1-2

力強い筆致の面描は古こけしに通じる味わいを感じさせる。『木偶相聞』と見比べると目の位置が顔半分より下に描かれていてこのこけし特有の幼さに結びつく。三蔵作の多くは目が高い位置に描かれることが多くそれが独特の凄みの要因となっているように思える。ただし、この広昭作はこれで稚気溢れ安心して眺めていられる穏やかさがある。菅原敏による三蔵型とは一線を画す新鮮な解釈と言えるかもしれない。頒布している会は違えど、父・昭の天江庄七の写しとともに山尾一家の古秋保への取り組みに注目するようになったのは言うまでもない。

さて先日、同じ出品者から広昭による3本の三蔵写しを落札した。前述8寸と同じく名古屋こけし会の頒布品であり、それぞれ第110回、第111回、第113回というシールが貼られている。この時期名古屋こけし会が広昭に対して集中的に三蔵型の写しを依頼しそれを頒布したことがわかる。

山尾広昭1-3

最初の7寸のこけしは「深沢コレクションの昭和15年三蔵復活初作を元に」作られたこけしとのこと。『こけしの追求』には「原」となるこけしの白黒写真とともに入手した経緯が記されているので該当箇所を引用する。

昨年(昭和十五年)一月私は又しても三蔵を訪ねたのであった。翌朝行って見ると三蔵は自家の作業場で、既に三箇の頭を作り、それに穴をあけているところであった。他に造付の一箇を加えて全部が出来上がるのは夕方になったが、前髪の小さい鬢下がりの如何にも親しみのあるこけしを受取る時には、さすがに嬉しかった。

『こけし古作図譜』にはその深澤三蔵がカラー写真で掲載されている。広昭の写しは目つきの強烈さには欠けるものの「原」を忠実に写したことが伺える。縦長の角張った頭部、長い垂れ鼻、切れ長の二側目。胴に轆轤線はなく「る」の字の前身と思われる模様が描かれており興味をそそる。

山尾広昭1-4

次の6寸は川口貫一郎コレクションの三蔵を元に作られた平成15年(2003年)1月作。出品者の説明によれば重ね菊で轆轤線がない珍しい胴模様であるという。「原」を確認したわけではないが自分の中の三蔵のイメージはこれに近い。鼻は小さめの垂れ鼻。目鼻頭の上部に寄り、口は紅で太めに描かれる。胴いっぱいに重ね菊が配置され装飾的な葉があしらわれている。頭部は小さめに抑えられており洗練された木地形態であるように思う。そして全体の雰囲気に鋭さがある。

山尾広昭1-5

3つ目は平成15年(2003年)5月作。酒井利治氏『木這子との邂逅』109番の写しであるとのこと。頭部小さく丸みを帯び、太めの胴が安定感を与える。二側目は大きく見開かれ真っ直ぐ前を見据える。三蔵型には珍しいねこ鼻で口は紅により一筆で描かれる。太い緑の轆轤線が上下に2本ずつ引かれ、間に「る」の字が2つ配される。

山尾広昭1-6

最近入手したこの6寸はひやねの『こけし往来』即売品。やはり名古屋こけし会の頒布品で、胴背面には第112回のシールが貼られている。この写しの「原」についての情報は持ち合わせていないがおそらく『こけし這子の話』の図譜に掲載されているものと推測される。切れ長の三日月目は下瞼が下に膨らまない典型的な遠刈田の二側目。胴上下の轆轤線は緑以上に赤が目立ち、大振りに描かれた重ね菊と相まって濃厚な雰囲気を漂わす。

こうして見てみると、5本とも異なる様式を持ち三蔵こけしのもつ意外な程の幅広さが浮き彫りになる。そしてまた同時に、山尾広昭という工人の写しの仕事振りにも感心せざるを得ない。特に良いと思うのは面描。その筆致の力強さによって古い味わいを感じさせるこけしとなっている点である。三蔵の遺したこけし自体、枯れた稚拙の筆使いがひとつの特徴となっているように思うが、広昭の面描は上手に整えることをせず、筆太く、揺れて曲がり、そしてたどたどしい。けっして綺麗な筆致ではないけれど、こけしが子供のおもちゃだった時代はこういった無骨とも言える描彩のものが多かったのではないかと想像させられるのである。現代ではなかなかこのような筆使いでこけしを描く工人は少ないような気がする。

『伝統こけし最新工人録』によると、山尾広昭は昭和33年(1958年)12月14日、山尾昭の長男として生まれた。木地修行を始めたのは昭和61年(1986年)4月頃から。工人27歳の時である。「ひとこと」の欄には「木地職人の祖父、父を持ち三代目として仕事の休みを利用しての勉強です。祖父のこけし復元にも興味を持っております。妻(※山尾裕華)と共にこれからの私ですが、伝統を守り続けて参ります。」と寄せており、他に仕事を持つ兼業でのこけし製作であることが窺い知ることができる。上に挙げた名古屋こけし会頒布による三蔵写しは平成14年〜15年作であるので工人44歳前後の作ということになる。この後の経緯はわからないが広昭は2016年4月現在55歳。残念ながらこけし製作は中断しているということである。


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