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034: 常川新太郎

常川新太郎のこけしを知ったのはInstagram でフォローしている方の投稿からだったと思う。くびれた胴体に四角く大きな頭部。赤と緑だけのロクロ模様は極めて簡素なものであるが、ぽかんとした口で空を見上げているような表情はなかなか見所があるように思えた。それからほどなくして、こけしを求め辿り着いた2014年の東京蚤の市の会場で新太郎の実物を見つけたことでこのこけしに対する認識が確かなものになった。その時のこけしは状態が良くなく結局入手に至らなかったが、「東京蚤の市の一角で初めて常川新太郎のキナキナの実物と出会った時の心のざわめき様。なんたる愛くるしさか。連れて帰らなかったことをここまで後悔したこけしは他にありません」と当時の心境を記しているあたり、なかなかのインパクトがあったように思われる。

常川新太郎 1-1

後日、ヤフオクにおいて即決価格で出品されていたところを首尾よく落札することができた。入手したこの8寸は、最初にInstagram で見た投稿写真の掲載品に似て大きめの四角い頭で、頭部と胴のはめ込みはかなりゆるく状態によっては首を傾げたようにもなる。鼻より下の高さの両頬に丸い頬紅が入れられ、さらさらとした筆致でぼんやりと考え事をしているような表情が描かれている。小さな時分は誰しもがこのようなあどけない面持ちで流れる雲を眺めていたのではないか。と、見るものを童心に帰らせる力が秘められているように思う。幼児だけの特権というべき愛らしさ、無垢さを余すところなく体現したこけしではないだろうか。

常川新太郎 1-2

それからさらに数日後、別の出品者から同じく新太郎のこけしが出された。こけしの出品は不思議とそういうところがあるように思われるが、余勢を駆る格好で落手したのがこちらの8寸。一本目と比べると頭部小振りで相対的にスレンダーな木地形態となっている。こちらには頬紅入れられず面描もはっきりとした筆致によるものになっている。稚気溢れる一本目と比べると成人の女性っぽさを漂わしているようにも思える。胴のロクロ線はその色合いからしてどうもポスターカラーのような印象を受けるが、定かではない。

常川新太郎は明治40年4月29日に盛岡市の雑貨商正雄・タミの長男として生まれた。仙台工芸指導所で木地技術を習得後、しばらく鈴木清の元で職人を務めていたが、昭和11年8月に遠野町長・菊地明八氏に招かれて移住。木地指導を行いその後同地で開業した。こけしの作りはじめは昭和12年。菊地町長が見本として提示した藤原政五郎のこけしを参考にして製作を開始した。戦後はしばらく休業していたが、昭和30年頃から再びこけしを作り始めたという。『こけし辞典』から引用すると「常川一家のこけしはすべて新太郎名義で出ているが、木地は新太郎、潤次郎、雄三郎、秀雄、左吉雄のものがあり描彩はもっぱら雄三郎である。木地の鑑別は不可能。(中略)潤次郎・秀雄は戦死しており、戦後の木地は新太郎・雄三郎が多い。左吉雄はほとんど挽かない。」とのことで、手持ちの2本の木地形態・面描の違いはそのような事情に起因しているのかもしれない。しかしいずれにしても、心安らぐ佇まいのこけしであると思う。

蔵王こけし館蔵 常川正義
常川正義工人のこけし(蔵王こけし館蔵)

なお、その年の秋に訪れた蔵王こけし館には常川正義名義のこけしが展示されていた。『伝統こけし最新工人録』によると昭和22年(1947年)9月12日生まれで2016年5月現在68歳。「作品未掲載の工人リスト」に載っている。

参考リンク
kokeshi wiki「常川新太郎」
こけし千夜一夜物語「第545夜:底書きの信憑性(常川新太郎)」


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